とんでも?仮説(5) 上杉謙信女性説

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さて、これは困ったという所です。この説を提唱したのは作家の八切止夫さ んだと思いますが、珍説とは思うものの、論拠が意外にしっかりしていて、 困ってしまいます。

上杉謙信は一人も妻を娶っておらず、子供もありません。そのため従来から 男色説もかなりあったのですが、ホモだから結婚しなかったのではなく女性 だから妻は娶らなかったのではないか、という逆転の発想がここにあります。

私は最初この説を聞いた時に本当に女性であったら、むしろ形だけでも妻を 娶って、女とバレないようにしていたのではないかと考えていたのですが、 謙信が女性であることを誰にも別に隠してもいなかったとしたら、わざわざ そういう偽装工作をする必要もないわけです。

ということで、謙信女性説の論拠というのを見てみましょう。

(1)「当代記」という戦国末期から江戸初期に関する歴史を書いた本がある   のですが(著者・成立時期不明)、この本に謙信の死因を「大虫」と   書いてある。大虫とは婦人病のことである。(*1)

  当代記はこの時期のことを書いた数少ない本のひとつで、貴重な資料で   はあるのですが、その内容に多数の誤りがあることでも有名です。です   からこの記述をどれだけ信用していいかは分からないのですが、間違う   にしても、わざわざ男性の死因を婦人病と誤って記述するのは不自然で   当代記が書かれた時期に上杉謙信が女性であったというのは一般の常識   であった可能性があります。

  また謙信の戦歴を調べてみると、毎月10日前後に腹痛と称して戦いを   休んでいるのだそうで、これはその時期(当時は太陰暦である)に月経   が来ていたためではないか、との意見もあるそうです。

(2)上杉謙信は生涯結婚していないし、子供も残していない。また赤い服を   好んでいた。

  この部分、私が最初に考察したように、女性であることを隠していたの   ならこれはむしろ反証になるのですが、逆に誰もが女性であると知って   いたのであれば堂々と好きな服を着ていた可能性があります。上杉神社   所蔵の謙信公が着たという「紅地雪持柳繍襟辻ヶ花染胴服(くれないじ   ゆきもちやなぎぬいものえり・つじがはなぞめどうふく)」は私も写真   を見ましたが、確かにとても男性用とは思えません。ただ江戸時代に   入るといわゆる「歌舞伎者(少し前の現代用語でいえばヒッピー)」たち   は堂々と女物の服を着ています。もし謙信が男性であったのなら、彼は   歌舞伎者たちのファッションの先駆者であったのでしょうか?

(3)謙信の遺した文書は筆跡も文章も女性的である。

  これについては私には現物を鑑定する力がないのでなんとも言えません。
  ただ女性的な男性がいても不思議ではないかも知れません(現代でも   いくらでもいる)。清少納言などは文章だけ残っていたら筆者は男性と   推測されていたかも知れない。

(4)謙信の背丈が大柄と書かれているのに実際は156cm程度だったらしい。

 つまり女性にしては大柄だということだと解釈すれば辻褄が合います。

(5)スペイン人ゴンザレスの国王宛文書

  この文書の中に『会津の上杉景勝が、伯母の上杉謙信が佐渡で掘り出し   た黄金を持っている』と記されているそうです。

私もこういった論拠の数々を見ていると、ほんとにこの説を信じたくなって しまいそうです。


(*1)この言葉をまだ検証しきっていません。私の手元の辞書では「大虫」と いう言葉は見つかりません。民俗では一般に虎のことを婉曲表現で大虫とい うのですが、それとは別の大虫なのでしょう。しかし寅年生まれで毘沙門天 を崇敬した謙信(景虎)が大虫で死んだというのは、ほんとに虎に縁がある人 なのでしょう。亡くなったのも寅年です。



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