それは、徳川家光の乳母とされている春日局は実は実母であり、その父は 徳川家康だというのです。
この説が出てきた背景には秀忠・江与夫妻が家光にひじょうに冷たかったこ とと、そして3代将軍を誰にするか(つまり家光なのか忠長なのか)を決めた のが家康であるというところにあります。この事情は一般には次のように 説明されています。
秀忠と江与の間には最初男の子が生まれ、続いて竹千代(家光)が生まれ
るのですが、竹千代が生まれた途端、最初の男の子が死んでしまいます。
すると両親としては、竹千代が生まれたために上の子が死んだような気が
して、どうも竹千代に対して愛情を注ぐことができませんでした。
そうこうする内、お江与はまた男の子・国松(忠長,松平長七郎の父)を 産みます。すると今度はこちらが死んだ子の生まれ変わりのような気がし て、両親の愛は国松一人に集中しました。
その為江戸城では何かと国松が大切にされ、竹千代はその次にされていま した。そういう両親の態度を見たお福は、このままでは世継ぎは竹千代を 差し置いて国松になってしまうと危機感を覚え、お伊勢参りにかこつけて 駿府に隠居中の家康に直訴しました。家康はすぐに行動を起こします。
突然の大御所の来城に秀忠は慌てます。「孫の顔が見たくなってのう」な どととぼける家康に竹千代と国松が呼ばれるのですが、家康は竹千代に 「こちらに来なさい」と言って呼び寄せ、隣に座らせます。すると国松も 一緒に側に寄ろうとしますが、ここで家康は厳しい言葉を投げました。
「長幼の儀礼をわきまえないとは何事か。竹千代殿は兄、世継ぎとなる身、 国松殿は弟、臣下となる身であろう。同列に並ぶことは許さぬ」と。
そして家康は畏まる秀忠に笑顔で一言声を掛けます。「ほんに竹千代殿は よい将軍になられるであろうのう」。
この家康のまさに鶴の一声により将軍家を継ぐのは竹千代と決定したのです。
さて、天海=光秀説より更に荒唐無稽とも思える、この家光が春日局と家康 の間の子供だという説なのですが、実は歴史学者の中にもこの説を信じてい る人があるようなので、それもある意味(あれだけ疑り深い人たちがという 意味で)素人から見れば不思議です。その根拠としては、家光が持っていた お守り袋の中に「二世将軍」と書かれた紙が入っていたという話があり二世 というのはつまり家康の子だからではないか、というのもあるようです。
(2001.01.27)