| フィーマー氏いわく |
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
昔、弁荘子という力の強い男が宿に泊まっていた所、虎が出たというのを 聞いて、退治しようとして出かけた。その時、一人の男が彼を引き留めて 言った「みてごらんなさい。虎が2頭で牛を食べようとしています。あの 2頭は今に肉の奪い合いで喧嘩を始めますよ。虎同士が喧嘩を始めたらど ちらが勝ったにしても一方は殺され他方も相当傷つくでしょう。そこをし とめたらいいです」
弁荘子はなるほどと思ってながめていると、まさにその通りになったので 彼は弱った方の虎を殺して、虎を2頭も退治した人として評判になった。 これを一挙両得という。
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時がたって戦国時代、漢と魏が長く争っていて、秦はどちらに味方するべ きかと随分迷った。その時家臣の一人がこの話しをした。そこで秦の王は 放っておくことにし、やがて両国の戦争の決着が着いたところに攻め入っ て秦は両方とも自分の領土にしてしまった。
この秦がやがて戦国を統一して、その王は「始皇帝」を名乗ります。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
昔ある国の王様が千里の馬を探そうとして千金もの賞金を出して探し回らせ
たが、どうしても得ることができなかった。私が行ってきますという部下が
いたので行かせると3ヶ月後に戻ってきて「千里の馬は見つかりましたが、
もう死んでいたのでその死体を五百金で買ってきました」といいます。王様
は怒って「死んだ馬では何の役にも立たないではないか!」と言いましたが
部下は慌てず答えました。「死んだ馬でさえ五百金で買ったのです。必ず評
判になって千里の馬を持つ者が自ら名乗り出て来るでしょう」と。それから
1年もたたない内に千里の馬は3頭も手に入った。
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これも戦国時代。燕の国で若い王が即位し、優秀な大臣を求めたがなかなか
いい人材がいなかった。その時、部下の一人の隗(かい)が「まず隗より始
めよ」と言って、上の話をし、「試しに私にたくさん給料を与え、優遇して
みてください。そうしたらそれを聞いた優秀な人々が、あんな隗のような奴
でも優遇されるのであれば、俺が行けばもっと大事にされるだろう」と思っ
て集まって来るでしょう、と言った。
若い王様はその案を面白いといって採用し、隗を大臣にし、家を3つも作っ てやった。その話を聞いてたくさんの人々が燕に志願してきた。その中に楽 毅がいて、彼は後に一番の大臣となって国を富ませ、隣の斉を倒した。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
六朝時代。晋に孫楚という人がいた。ある時孫楚は「枕石漱流」つまり「石
を枕にして、流れで口をそそぐ」というべきところを誤って「漱石枕流」と
言ってしまった。人が「先生、それは枕石漱流でしょう?」というと、負け
ん気の強い孫楚は「いや、それでいいんだ」と言い、「石で口をそそぐのは
歯を磨くためである。流れを枕にするのは耳を洗うためである」といいわけ
をした。この詭弁にはみんな「さすが!」と感心した。そこで「さすが」と
いうのを「流石」と書く。
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むろん夏目漱石の「漱石」もこの故事から来ています。このくらい詭弁を使
える政治家がいたらいいんでしょうけど、「秘書が...」とか「妻が...」な
どという下等な言い逃れはやめて欲しいものです。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
同じことをしたのに誉められたり叱られたりして評価が定まらないことを 「余桃」といいます。
昔、衛の国の王様は弥子瑕という美少年を愛していて、いつも同伴していま した。ある時、弥子瑕は森で桃がなっているのを見て取ってかじったところ 非常においしかったので王様に「ねぇ、これとってもおいしいよ」と言って 勧めました。王様は桃を食べて喜び、部下にも「弥子瑕は本当に可愛い奴だ。 自分が全部食べたいのを我慢して、おいしい桃を分けてくれた」と微笑んで いいました。
しかしやがて弥子瑕も年を取りすっかり男っぽくなってしまって王様の愛す る所ではなくなりました。すると王様は彼を捕らえさせて断罪して言いまし た。「こいつは昔、自分が食べた桃の食べさしを俺に食わせたんだ」と。
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この話、私は中学のころ漢文の時間か何かに読んだように思うのですが、その 時、相手は「美女」ということになっていました。でも原典(韓非子)では、 どうも美少年のようですね(^_^; 昔から男の子が好きな殿様というのはいたん ですねぇ(~_~)
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
あるところで数人の男がいる所に酒が一杯持ち込まれた。みんなで分けて飲む
にはやや少ないので、みんなで蛇の絵を描いて一番先に描けたものが一人で飲
むことにした。ある男が最初に蛇を描き上げたが、酒を手に取って「俺はこい
つに足もつけることができるぜ」といって足を書き足した。そこに次に描き上
げた男が酒をさっと横取りして「何言ってんだ。足がついてたら蛇ではないで
はないか」といって、さっさと酒を飲んでしまった。
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戦国時代、楚の将軍昭陽は魏を攻める命令を受けて軍を進め、みごとに魏の国
を征服した。そしてその勢いにのって斉の国まで攻め入ろうとしたとき、部下
の一人がこの話をした。そして「あなた様は魏を攻める命令だけを受けたので
す。斉まで攻めたら命令違反になります。そして斉を攻めて少しでも失敗すれ
ば折角の手柄が台無しになるではありませんか」と説いた。昭陽はおのれの愚
を悟り、軍を戻した。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
塞(国境)の近くに一人の翁が住んでいた。ある時飼っていた馬が逃げ出して 国境の向こうへ行ってしまった。人が「残念でしたね」というが、翁は動じて いなかった。しばらくして逃げ出した馬が牝馬を連れて2頭で戻ってきた。人 がそれを見て「良かったですね」というが、翁は表情を変えなかった。
やがて2頭の馬の間に子馬が生まれ、翁の息子がその子馬に乗っていて落馬し て足が不自由になってしまった。人が「災難でしたね」というが、翁は無言で あった。やがて戦争が始まり村の若い者はみんな兵隊にかり出されて多くの者 が戦死した。しかし翁の息子は足が不自由であったために兵役を免じられて死 なずに済んだ。
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今は東京都知事になってしまいました青島幸夫のベストセラーに「塞翁がひのえ
うま」という本がありました。実は読んでないのですが(^_^;; あれだけ売れた
本なのに絶版らしいですね。昔から、私はベストセラーをあまり読んだことがな
いというひねくれた人間です(^_^; 神々の指紋は果たして読むのかなぁ.....
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
似た言葉に「羊頭狗肉」というのもありますね。羊の頭を看板にして犬の肉 を売る。中国ではチャウチャウのような食用犬もあることですし(^_^; けっ こう食べるんでしょうか。でも日本人がタコを食べるのを西洋人は気味悪が るそうですし、食文化は難しい。
またまた戦国時代の話。斉の王様の霊公は男装の女性が好きで(変態の王様 というのはほんとに多いこと)、宮中の女性に男装をさせていました。する とある時それが町でも流行になってしまい、道行く女性がみんな男の服を着 ているので、相手が男なのか女なのかさっぱり分からず、世の中の風俗が乱 れてしまったということです。そこで王様が女性が男の服を着てはいけない というおふれを出すのですが、誰も守りません。困った霊公が賢人に相談す ると、賢人は「町で禁止している女性の男装を宮中では行っているというの は牛首を懸けて馬肉を売るようなものです」と言ったといいます。
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FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
始皇帝が作った国・秦が滅びたあと、天下は漢の劉邦と楚の項羽の間で争わ れました。最初は項羽の方が優勢でしたが、やがて劉邦が逆転します。項羽 は垓下というところで敵軍に囲まれてしまいました。その時、項羽は包囲し ている軍の中から楚の歌を聞きます。
これは漢側の計略だったのですが、項羽は敵の軍隊の中に自分の国楚の人間 がいる、とショックを覚え、ここで愛妃・虞美人を殺したのち包囲網を突破 して逃げ、烏江というところで自殺します。
この烏江へ後に詩人の杜牧が来てこういう歌を歌いました。
勝敗兵家不可期
包羞忍恥是男兒
江東子弟多才俊
捲土重来未可知
まだ諦めるべき時ではなかったのでは? そういう思いが胸をよぎったので
しょう。我慢に我慢を重ねた例は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)です。これ
はずっと時代をさかのぼって春秋時代。
呉の王闔閭は越の王勾践に破れ殺された。闔閭の子夫差は父の敵を忘れない ようにと薪の中に寝起きして、やがて軍備を整え、みごと会稽山(かいけい さん)で勾践の軍を破った。勾践は自分の部下を全部奴隷にし、妻で絶世の 美女と言われていた西施を夫差の愛人として差し出すといって命を助けられ たが、この恥を忘れないようにと毎日苦い肝を嘗めて敵討ちの機会を狙った。 そしてやがて同じ会稽山で西施にうつつを抜かして骨抜きになっていた夫差 を倒した。これを「会稽の恥をそそぐ」といい、西施はその美貌で国を傾け たとして「傾国」と呼ばれた。
この西施は「ひそみにならう」という言葉の主人公でもある。ある時西施が 気分が悪くて顔をしかめていたら、もともと美しい人だから、その様子が又 いっそう美しかった。それを見た他の女たちが真似してしかめっつらをした。
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西施・虞美人・楊貴妃で中国古代の三大美女といっていいかも知れません。 楊貴妃は唐の玄宗皇帝の妻で、玄宗も彼女にうつつを抜かして国の政治がお ろそかになり、反乱を起こされて逃げる途中彼女を死なせます。そののちに 彼女を悼んで白居易が歌ったのが有名な「長恨歌」ですね。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
鼎の軽重を問う、というのは周の定王に、楚の荘王が定王が大事にしている
鼎の重さを尋ねた故事によります。この鼎というのが、昔夏の禹が中国全土
から材料を集めて作らせたもので、いわば王権の象徴でした。荘王はやがて
定王を倒して自分が天下を取るつもりだったので、その時自分の城へ運びこ
むのにどのくらい手間がかかるだろうかと思い、重さを尋ねたのだといいま
す。
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鼎というとどうしてもすぐに思い出すのが徒然草の中の鼎をかぶった坊さん
の話です。これは仁和寺の僧だったと思うのですが(^_^; ある時宴会でふざ
けて鼎をかぶって踊りをおどり、一同の笑いをとったのですが、踊りが終わ
って頭から鼎を外そうとしたらどうしても取れませんでした。人に手伝って
もらってひっぱってもどうしても取れず、最後には仕方ないというので耳や
鼻がこそげるのも構わず強い力でひっぱってやっと取れたものの、大けがを
したというものです。
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さて鼎はその字の形の通り3本足の鍋ですが、同じ3本足の物に鉄輪(かん
なわ)、つまり現代ではガスコンロの上に乗っている五徳(ごとく)があり
ます。この鉄輪は丑の刻参りの小道具でもあります。京都の貴船神社がその
本場ですが、丑の刻(夜中の2時ころ)に憎い相手の名前を書いたわら人形
を木に打ち付ける時のスタイルというのが、古典的には鉄輪を逆さに頭の上
に乗せ、それぞれの足に松明をつけて、呪術目的の赤い服を着て赤い色を顔
にも塗って、胸には鏡を下げ、一本足の下駄を履いて詣でるといいます。近
年では赤い服ではなく白い服を着るのが流行?だそうですが、貴船神社の裏
の林に入ると本当にわら人形が打ち付けてあるそうですから恐いですね。。。
FeeMaa氏はこういうことを聞いたかも知れない。
これはNo.31で書いたのと逆のような話です。
ある川のほとりで、大きなはまぐりがひなたぼっこをしていた時、カワセミ がやってきて、その肉をついばもうとした。はまぐりは慌てて貝を閉じたの でカワセミはくちばしをはさまれてしまった。両者とも必死なのでそのまま の状態でいたところ、漁夫が通りかかり「これはしめた」といって両方とも 捕まえて行った。
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戦国時代、趙が燕を攻めようとした。ここで燕は弁の立つ蘇代という家臣を
趙に派遣して、戦争を思いとどまるよう説得にあたらせた。蘇代は趙の王に
この話をして言った。「今私たちが戦争をしてもなかなか決着はつきますま
い。持久戦になると双方力を使って弱くなり、そうしたらあの秦が私たちの
双方を攻めて易々と国を奪われてしまうでしょう」そこで趙の王は戦争をや
める決断をした。
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