 
源氏物語の世界(1)桐壺(きりつぼ)
『いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひける中に、いとやむごとなき
際にはあらぬが、優れてときめき給ふ、ありけり』
どの天皇の時代であったか、女御や更衣が多数お仕えしておられた中に、
そう高い身分の家の出ではないが、天皇の寵愛を非常によく受けておられた
方がありました。
競争の激しい宮の中故、特に彼女よりも地位の高い女御たちからとかく恨ま
れがちだったのですが、そのため精神的な苦痛から体調もすぐれないと、そ
のことが更に天皇のご心配を向けさせることになり、ますますご寵愛を深め
られるのでした。
そしてやがてこの更衣は玉のような男の子を産みます。それまではいくら自
分が寵愛しているとはいえ身分が低いものということで、公式の場ではそれ
なりの扱いをしていたのが、皇子が生まれたということで、きちんとした扱
いをされることになったため、人々はひょっとすると先にお生まれになった
右大臣家の姫君(弘徽殿の女御)が産んだ第一皇子を差し置いて、皇太子に
なるのではないか、とまで噂するようになります。
そして更衣に対する、あら探しやさげすみは更に度を増して行くのでした。
更衣のお部屋は桐壺にございました。桐壺(淑景舎)は宮中の東北の端にあ
り、天皇がおいでになる時は多数の女御の部屋の前を素通りしてお向かいに
なるので、素通りされる女御たちの憤慨はだんだん大きくなります。また逆
に更衣が天皇のもとにおいでになる時は多数の女御の部屋の前を通るため、
途中で色々いじわるされることもありました。
若宮が三歳になった時の七五三のお祝いは先に行われた第一皇子の時に劣ら
ない、たいへん立派なものでした。しかしこの時若宮の顔を見た多くの人が
なんて素敵な顔立ちの皇子であろうと思ったのでした。
その年の夏、更衣はかねてからの体調の悪さが極度に達し、天皇の止めるの
を振り切ってご退出なさる。そしてそのまま亡くなられてしまいました。天
皇は悲しみ「生前にせめて女御に昇進させてあげればよかった」と泣く泣く
更衣に三位を追贈なさる。
若宮は更衣の服喪でしばらく宮中からお下がりになるが、喪が明けて戻って
こられた様子がまたまた立派になられていました。それ故に人々も成り行き
に注目するのですが、天皇はそのような空気を察して、波風立たないよう、
第一皇子の弘徽殿の女御の御子をさっさと皇太子に指名します。それで世間
の人も、余計なもめごとは起きずに済むと胸をなで下ろすのでした。
しかし若宮の才気はその容貌以上のものであることが段々明らかになってい
きます。学問といい琴や笛の腕といい、並大抵のものではありませんでした。
その頃、朝鮮から優れた人相見が日本を訪問しました。天皇はこの若宮を見
せるのですが、人相見はこういうことをいいます。
『この方は本来なら帝になるべきお方でしょう。しかしこの方が帝になられ
ますと、世の中が乱れるかも知れません。むしろ朝廷の柱となって政治を補
佐するような立場になられた方がよろしいでしょう』
天皇は国内の宿曜道の達人にも鑑定させ同様の結論を得ます。もとより天皇
は若宮にこれといった後ろ盾がないことも心配していたので、これらの忠告
を真摯に受け止め、若宮を臣籍に降ろし、源氏姓を与えることにしました。
朝鮮の人相見がこの若宮のことを光り輝く君と呼んでいだことから、若君は
これ以後、光源氏の君(ひかるげんじのきみ)と呼ばれることとなります。
やがて月日が立った頃、先代天皇の四の宮が入内し、藤壺(飛香舎)にお入
りになります。この藤壺の宮が偶然にも先に亡くなられた桐壺の更衣と感じ
が似ていたため、天皇もよくこのお方を寵愛なされ、また幼い源氏の君もこ
の宮を慕って、しばしば近くに寄り、また藤壺も君をよく可愛がりました。
すると、藤壺に寵愛を奪われた弘徽殿の女御(右大臣の姫)は、そもそも
憎らしい源氏の君も向こうに付いてしまったことで、益々そちらと対立する
様子を見せます。
そしてやがて源氏の君が12歳になりますと、元服の儀が盛大に行われ、更に
天皇の口利きで、左大臣家の姫(葵の上)との婚儀が決まります。
葵の上と同腹の兄は蔵人少将(後の頭中将)で、源氏はこの方ともたいへん
よく気が合いました。また蔵人少将と葵の上の母君は天皇の妹君でもあるの
で、ここに源氏の君が加わったことで、天下の行方は左大臣家に大きく傾き
皇太子を孫に持つとはいえ、右大臣の立場はたいへん弱いものになってしま
います。
それまで後ろ盾のなかった源氏の君もこれで大きなバックができた訳ですが
源氏の君を天皇がお離しにならないので、君は母君の更衣が住んでおられた
桐壺にそのままお住まいになり、更衣に仕えていた女房たちがそのまま身の
回りのお世話をして、時々左大臣家に帰るという生活をなさっていました。
そして、その源氏の君がいちばん慕っていたのは、やはり母の面影のある、
藤壺の宮でした。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
源氏物語は一条天皇の中宮・彰子(しょうし)に仕えた紫式部の作です。式
部自身も藤原の名門の出。実際ははじめこの桐壺の帖にすぐ夕顔の帖が続く
形の初版・源氏物語がかなりまで書き進められ、評判になっていたところを
時の実力者であり彰子の父である藤原道長が、自分の娘付きの女房に、と召
し出したのではないかと言われています。
当時この小説の評判はほんとにすごく、みんなが「続きはいつ出るんだ」と
ワクワクして待っていたといいます。そして道長などはある時、待ちきれな
くて紫式部の部屋に勝手に入って、たまたま机の上に置いてあった書きかけ
の原稿を持ち出してしまうなどということもしたとのこと。
源氏物語の中で占いが重要な役割を果たすところが2ヶ所あります。ひとつ
が今回出てきたもので、これにより光源氏は臣籍降下するわけですが、あと
1回はその内出てくる源氏の子供に関する占い。そこに現れた数字は紫の上
との悲しい未来を予告していましたが、源氏はそのことには気づきませんで
した。
さて、源氏物語の初版は上にも書いたように、桐壺のあとにすぐ夕顔が来る
のですが、現代に伝わる形ではその前に帚木(ははきぎ)・空蝉(うつせみ)
という帖が挿入されています。以下、それに沿って見ていきます。
次回は方違え(かたたがえ)の話が出てきます。
(C)copyright ffortune.net 1995-2007 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから
|