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漢詩と和歌
二つの流れ
平安時代は女性の地位がひじょうに高かった時代です。いい意味で陰陽のバランスの取れていた時代で、この時代は死刑というものが何百年にもわたって無かった時代でもあります。
その中で、漢詩はどちらかというと男性的な文化、和歌はどちらかというと女性的な文化でした。
つまり、こういうシンボリズムが成立します。
むろん男性も和歌を書きますし、万葉集は和歌を集めたものですが、賀茂真淵は古今集は「たをやめぶり」、万葉集は「ますらをぶり」と評しました。これは万葉集に原始的な力強い歌が多く含まれていて、古今集の時代になると洗練された歌が多くなるからでしょう。一方で漢詩を書く女性は少なかったのではないかと思います。
陰 女性 ひらがな 和歌 古今集 古事記 陽 男性 漢字 漢詩 万葉集 日本書紀
詩合わせ・歌合わせ
こういう二つの流れの雰囲気を伝えるのにいいのが村上天皇の御代に行われた詩合わせ・歌合わせです。
最初天徳3年(959)の8月16日、男性の宮廷人が清涼殿に集まり、詩合わせを行いました。すると女房たちの間で「殿方たちが詩合わせをするなら、女たちも歌合わせをしましょう」といって、翌年3月30日に豪華な歌合わせが行われました。
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