※「セキュリティ保護のため...」というメッセージが出る方・日本語が入力できない方へ
英訳百人一首(24)この度は
written by そよ風 on 98/08/26 16:08
ぬさ たむ ●このたびは 幣も取りあへず 手向け山 紅葉の錦 神のまにまに/菅家 解説:− 菅家とは天神様としておなじみの菅原道真(845-903)のことです。宇多天皇 に仕えて、右大臣として天皇の親政に大きな助けをなしましたが、宇多天皇 が醍醐天皇に譲位すると、何かと口うるさい道真を遠ざけたい天皇と藤原家 以外の者に権力を渡したくない藤原時平の思惑が一致して、突然九州太宰府 へ左遷されてしまいました。昌泰4年(901)正月25日のことでした。 知らせを聞いて驚いた宇多上皇が天皇に抗議に駆けつけますが、門番をして いたかつての宇多上皇の腹心・藤原菅根が天皇の命令だとして頑として上皇 を中にいれず、上皇は裸足のまま呆然と門の外に夜まで立ちつくしていたと いいます。道真は結局次の歌を残して寂しく九州へと赴きました。 東風(こち)吹かば 思いおこせよ 梅の花 主無しとて 春な忘れそ この梅の木は2年後道真が亡くなると主を慕って九州まで飛んできて、道真 の墓の側に移ったといい、これを「飛梅」といいます。その何世代か後の梅 の木が今もその地に残っています。 道真が亡くなった時に彼は遺言をします。自分の遺体を車にのせて牛に引か せ、牛が立ち止まった所に自分を葬ってくれというのです。これは味酒安行 によって実行され、小さなお墓が立てられました。2年後味酒はその場所に 小さな祠廟を建てましたが、延喜19年更にこの祠を藤原仲平が大きな社殿に 作り替えます。これが現在の太宰府天満宮です。 さて、道真の没後、都では色々な怪異が続きました。まず問題の時平が39歳 の若さで急逝。その時道真の怨霊が現れて、病気平癒の祈祷をしていた陰陽 師を追い出したと言われます。そして4年後には右大臣源光が沼にはまって 死亡。宇多上皇の入宮を阻んだ藤原菅根は雷に打たれて死亡。更に延喜23年 3月には時平の妹穏子と醍醐天皇の間に生まれた皇太子保明親王が21歳で死去、 追い討ちを掛けるように2年後にはその保明親王と時平の娘・褒子との間に 生まれた幼い新皇太子慶頼王まで亡くなってしまいます。 これを世の人々は道真公が自分を追いやった時平公の縁者に祟っているのだ と噂します。醍醐天皇も恐くなって道真を右大臣に戻す詔を出したりします が、怪異は収まる気配がありません。 そしてとうとう延長8年(930)の6月26日、内裏に落雷があって大納言藤原清貫 と右中弁平希世(いづれも道真追放に関与した人)をはじめ何人もの殿上人 と女官が雷に撃たれて死亡するという事件が起きます。醍醐天皇はショック で病に倒れ、3ヶ月後この世を去ってしまいました。世の人は道真公は雷神 になられたのであろうかと口々にいいました。そして更に天慶2年(939)関東 で平将門が乱を起こしますと、そこに道真の霊が現れ、将門に天皇に代わる 「新皇」を名乗らせるのです。 ここに至り都でも道真の怒りを鎮め、彼が本来願っていた筈の国家の安泰に 寄与して欲しいとして、道真をきちんとお祀りしようという動きが出てきま す。まず天慶5年(942)京都の多治比文子という人が「右近馬場に祠を建て よ」という道真公の託宣を受けますが、庶民にはどうにもならないため、仕 方なく自分の家のそばに小さな祠を建ててお祀りします。 その5年後今度は近江国比良宮の禰宜・神良種(みわ・よしたね)の子供の 太郎丸にやはり同様の託宣があり、その問題の右近馬場に、一夜にして松が 数千本生えるという奇跡が起きた為、良種は文子とともに北野朝日寺の最珍 に協力を求め神殿を建立しました。これが北野天満宮です。 全国にある「天神様」はこの太宰府天満宮・北野天満宮などと同様菅原道真 系のものと、それとは無関係に「天の神様」を祭ったものとがありますが、 後世には、道真の天神様が有名になってしまったため、他の天神様でも祭神 が菅原道真公であると考えられるようになってしまったものも多いようです。 そして、祟り神転じて守護神として祀られることで始まったこの神社も菅原 道真が元々学者であり、菅原家(古代に埴輪作りを統括していた土師一族の 傍系)自体も学者の家であるため、現在では、天神様といえば学問の神様と いうことになっています。天神様に牛がいるのも、上記のエピソードによる ものです。 さて、長い話をした所で歌に戻ります。 この歌は道真が宇多天皇に仕えていた時、昌泰元年(898)10月23日に奈良で 詠まれたものと記録されています。掛詞バリバリの歌ですね。 まず「このたびは」は「度」と「旅」を掛けています。「手向け山」は神に 捧げ物を「たむける」と固有名詞としての「手向け山」が掛けられています。 手向け山は現在の手向け山ではなく、奈良山の峠だそうです。 この度の旅では、(天皇から言われて急ぎ付いて来ましたので)神様に捧げ るはずの幣も用意する間もなく来てしまいました。そこで今この山にもえて いる美しい紅葉を幣の代わりにして捧げますので、どうか神の御心のままに お受け取り下さい。 「まにまに」は漢字で書くと「随に」で「お心のままに/ご随意に」という ことになります。幣というのは神に祈る時に使う、ぴらぴらとした紙のつい たものですが、一般に神への捧げ物の意味にも転じて使用されます。 試訳:− The journey today was in sudden, We have not prepared A sacred thing to offer thee; So please take this maple leaves instead As much as thou like. by Kwan-Ke ( Mitizane Sugawara, former Minister-of-the-Right)