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英訳百人一首(14)みちのくの
written by そよ風 on 98/07/06 21:48
みちのくしのぶ ●陸奥の 信夫もぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに/河原左大臣 解説:− 現代人にはやや分かりづらい歌ですので少し意味を解いてみましょう。 「もぢずり」は漢字では「捩刷り」です。福島県の信夫郡(しのぶぐん)で 製作される布で、乱れ模様が特徴です。ですから「しのぶもぢずり」は文法 的には「乱れ」に掛かっていることになります。その信夫というのにわざわ ざ「みちのくの」を付けて補足しています。 「我ならなくに」は「我なら泣くに」ではありません。「我ならず」の「ず」 の未然形「な」に詠嘆の助詞「く」が付き、更に助詞の「に」が付いたもの です。つまり「我ならなくに」というのは「(そういう)自分ではないはず なのに」といったところです。こういう「く」の用法は現代では「恐らく」 など慣用的な言葉に一部残るだけになってしまいました。 そういうわけで歌の意味はこうなります。 陸奥の国・信夫の捩刷りの模様のように、私の心は乱れて染まってしまい ました。そのように心を容易に乱すような自分ではないはずなのに、いっ たい誰のせいで、こんなに心を乱してしまうというのでしょう。 この歌は「最近どうして来て下さらないの。心が覚めてしまったのかしら」 と責める歌を送ってきた女に対して男が「そんなことないよ。君のことを思 うだけで私の心は乱れてしまうんだ」となだめている歌です。 ここで「信夫」は当然「忍ぶ」思いというのを連想させるようになっていま す。また「乱れそめにし」は布を「乱れ染める」と心を「乱れ初める」の掛 けことばになっています。 ただし、この「乱れそめにし」は百人一首に入る時までに改変されたもので、 古今集の元歌では単純に「乱れむと思ふ」です。 さて、河原左大臣とは源融(みなもとのとおる,822-895)のことです。嵯峨 天皇の皇子で母は大原真人全子。838年に元服と共に正四位下。848年右衛門 中将,858年参議,865年中納言,871年大納言となって、872年から895年まで23 年もの長期にわたって左大臣を務め、清和・陽成・光孝・宇多の4帝に仕え ました。兄の源常(ときわ,812-854,在職844-854),源信(みなもとのまこと, 810-868,在職857-868)もやはり左大臣を務めています。 この源の三兄弟の時代は政治権力が天皇・皇族から藤原家に次第に移ってい く時代です。名君で特に補佐官をおかずに天皇親政を行い退位後も政界に睨 みを効かせていた嵯峨上皇が842年に亡くなった後、数年の空白期間をおいて 848年藤原良房が右大臣になると彼は次々と政敵を失脚させていき、藤原家の 天下を実現していきます。 最も大きかった事件は866年の応天門の変で、この年応天門が火事で焼失した ことに関し、最初大伴一族の伴善男が、これは源信ら三兄弟(融・勤)のし わざであると糾弾したのに対し、藤原良房は逆にその訴え出た大伴一族こそ 犯人であるとして、これを流罪にしてしまったものです。これ以後、大和朝 廷成立に貢献した古代大豪族の最後の生き残りであった大伴家は日本の政治 の舞台から完全に姿を消すことになります。 そういう時代にあって、源融はその藤原一族に最後まで対抗し、陽成天皇が 退位した後は天皇の地位を狙ったこともありました。屋敷は豪華で宮城県の 塩竈から海水を運ばせ、塩を焼いて作る煙がよく立ち上っていたとのことで す。なお、宇治の平等院はこの源融の別荘だったもの。また彼の血統は嵯峨 源氏と呼ばれ、鬼退治で有名な渡辺綱はこの融の孫の孫に当たります。そし て、その綱の血統はやがて長崎県の平戸を支配した松浦一族へとつながって います。 試訳:− Who cause my heart confusion Like a confusion pattern of clothes Producted in north east country named "Secret"? It never happened before That I lose myself so much. by Left Minister of Kawara (Toru Minamoto)