フェニキア人は元はカナン人といい、系統的にはアラビア人・ヘブライ人・ エチオピア人などと同祖のセム族に分類されます。聖書では「ノアの箱船」 のノアの長男がセムで、彼らはこの子孫であるとされています。
(正確にはBC1200年頃から以降をフェニキア人といい、それ以前をカナン人 というが、ここでは混乱を避けるため全てフェニキア人で通す)
初期の頃はキプロス島の対岸ウガリット(現シリアのアル・ラジキア付近)、 そしてその200kmほど南方のビブロス(現レバノンのバトルン付近)などを拠点 としていました。つまりカナン地方にいたからカナン人という訳ですが、海 に乗り出すようになってからはフェニキア人と呼ばれます。
フェニキアの語源については幾つかの説がありますがエジプトの言葉で 「船を造る者」という意味の「フェンク」という言葉から来たという説を 信じたい気分です。他には彼らがフェニックス(不死鳥)を象徴にしていた為 であるとか、ギリシャ語で「赤い衣の商人」という意味の「フェニケス」か ら来たという説もあります。フェニックスについては逆に彼らの名前から、 フェニックスという名前が生まれたとする説もあります。
初期の拠点ビブロスは紙製品の輸出港として知られ、ここから書物のことを ビブロスと呼ぶようになります。聖書(bible)の語源です。
メソポタミアではBC2800年頃シュメールで楔形文字が生まれたとされBC1700
頃のバビロニアのハムラビ王は見事な楔型文字による法令「ハムラビ法典」
を残しています。この楔形文字はかなり多数の字種があったようですがフェ
ニキア人たちはこれを単純化し、22個の文字からなるアルファベットを発明
しました。お隣のイスラエルのヘブライ文字もこれのバリエーションです。
フェニキアやヘブライのアルファベットは子音のみで母音を持ちませんが、
母音の多い言葉を話すギリシャ人はその中の幾つかの文字を母音用に転用して
ギリシャ式アルファベットを作成。これがラテン文字やロシア文字のルーツ
になっています。
BC1300年頃になるとビブロスより更に南方のシドン(現サイダ)、その南方の ティルス(現スル)などが栄えるようになります。そしてそのころクレタ島を 中心とするミノア文明が衰退、これによって地中海の制海権がフェニキア人 の手に移りました。この頃からBC700頃までがフェニキア人が最も盛んに活動 した時期のようです。
タソスというフェニキア人はエーゲ海北端にある島に入って大規模な鉱山の 開発を行いました。この島は現在、彼の名前を採ってタソス島と呼ばれてい ます。タソス島とティルスは密接な関係を持っていたようで、ティルスに 「タソスのヘラクレス」という名前の神殿が存在しました。
またティルスのフェニキア人達はBC815年頃に北アフリカに入植。カルタゴを 建設します。後にこの町はフェニキア最大の町になりました。カルタゴの 対岸のシチリア島にもバノルモス・モテュア、サルディニア島にはノラ、 ジブラルタル海峡の北側にはガデス、南側にはチンギスなどが建設されてい ます。彼らの活動はアフリカ西岸にまで至っていたともいわれます。
フェニキア人たちの信仰はメソポタミアで広く信仰されていたバアル神と、
イシュタルの流れを引く水の女神アシュタルテが中心でした。そもそも
アシュタルテというのはイシュタルから母音を交換しただけの名前です。
これが更にギリシャに伝わるとアフロディーテになります。エジプトでは
イシュタルはイシスになっています。
バアルはこの時期から紀元前後頃までヘブライのヤーウェの強力なライバル でしたが、ヤーウェ信仰の流れを汲む中世ヨーロッパのキリスト教徒たちは バアルを悪魔ということにしてしまいました。そしてアシュタルテの方も 美貌の大悪魔アスタロトということになってしまいます。しかしその信仰の 一部はいわゆる「黒マリア」(ノートル・ダム)としてキリスト教社会でも 生き続けています。