↑ 虎にまつわる故事熟語
■虎の子
 虎(母虎)は子供を大事に育てることから、大事なものをこう呼ぶように
 なりました。

■虎穴に入らずんば虎児を得ず
 虎の子供を穫ってこようという場合、虎の巣穴に入り母親と遭遇するかも
 知れない危険を冒さなければならないということ。重要なことであれば
 危険であっても行動しよう、という意味。(後漢書)
 「君子危うきに近寄らず」という全く逆の支持をする格言もあります。
 虎穴に・・・と同様の意味のもので「枝先に行かねば熟柿を食えぬ」と
 いうのもあります。
 
 虎児を得るのはやはり毛皮目的でしょうね。子供の虎なら傷も少なく、
 また柔らかいことが期待できます。

■虎の尾を踏む
 とても恐いことをうっかりしてしまうこと。(易経:履)
 しかしそもそも虎の尾を踏むほど近くまで寄る時点で危険ですね。

■虎の威を借る狐
 「戦国策」に出てくる寓話です。ある時、狐が虎の所に行き「私は神様
 から獣の長に任命された。嘘だと思うなら私に付いてきなさい」という。
 そこで虎が狐の後を付いていくと、みんな狐の後ろにいる虎を見て逃げ出す。
 しかし虎は狐を見てみんな逃げていると思い、狐の言うことを信じた。
 といったこと。
 
 現代でもビジネスマンにせよ、政治家にせよ、虎の威を借る狐は多いですね。

■虎を野に放つ
 危険人物を泳がせてしまうことを言います。出典がよく分かりません。

 日本書紀で壬申の乱を描いた「天武天皇の巻上」の最初で、病床に伏した
 (先代の)天智天皇が大海人皇子(後の天武天皇)に見舞いに来て欲しい
 と呼ぶ所があります。しかし大海人皇子は、行けば暗殺されると察して
 「私は天皇の病気平癒を祈って出家します」といいそのまま頭を丸めて
 吉野に逃れてしまいました。この時、これは虎に翼を付けて野に放つよう
 なものだ、と人が言ったという表現が出てきます。
 
 天智天皇が亡くなると大海人皇子と、天智天皇の子である大友皇子との
 間で天皇後継を巡って天下分け目の戦い<壬申の乱>が勃発しました。

■養虎の患い
 史記の「項羽本紀」に出てくることばで「虎を養いて患いを遺す」とも。
 
 楚の項羽と漢の劉邦の戦いで、最終的に両者は講和し天下を二分して
 治めようという盟約が成立します。そして項羽の軍は帰途に就くのですが、
 この時劉邦の部下が「今天下の大半は漢を支持し項羽の兵は疲労しています。
 今項羽を討たなければ、虎を養って憂いを残すことになります」と説得。
 漢軍は項羽を追撃して打破。項羽は「四面楚歌」に追い込まれます。
 
 「日本紀略」が語る坂上田村麻呂とアテルイの戦いでは、戦闘に負けて
 降伏してきたアテルイを、田村麻呂は地元に帰して朝廷の東北支配の中に
 組み込もうとしたのに対し、政府はそれは虎を養いて患いを遺すことで
 あると認めず、アテルイを処刑してしまいました。

■虎は死して皮を留め、人は死して名を残す
 出典は欧陽脩の「王彦章画像記」です。そのままですが、虎の皮が昔から
 珍重されていたことが伺えます。「虎は死して皮を残し」として下と動詞
 を揃える書き方もあります。

■虎の巻
 太公望呂尚が編纂した「六韜」という六巻構成の兵法書の中の「虎韜」
 に由来することばです。兵法の秘伝が書かれた書ということから、現代
 では教科書の問題の解答が記された参考書のこと。「アンチョコ」と
 も呼ばれていたものの現在では「アンチョコ」は死語。なおアンチョコ
 の語源は「安直」。また現代に残る「六韜」は後世に作られた別物。

■虎視眈々
 虎が獲物を狙ってじっと見ている時のように、実力のある人が行動を
 起こす前に意欲満々で準備している様子を表します。出典は易経:頤。


(2010-01-02)

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