トラにまつわる人/三寅将軍

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鎌倉幕府の3代将軍までは名前を言えても、4代将軍の名前は知らない人が 多いのではないでしょうか。

鎌倉幕府の4代将軍は、藤原頼経(九条頼経)です。この人は建保6年(1218) 1月16日の寅刻の生まれで、寅年・寅月・寅刻の生まれであったため、 「三寅」と呼ばれたのでした。(ちなみにこの日の十二支は子です)

3代将軍源実朝が鶴岡八幡宮の石段で暗殺され頼朝の(男系の)血筋が途絶え てしまって、次の将軍をどうするかというのは大問題だったのですが、この 藤原頼経の母は頼朝の妹の孫に当たる西園寺綸子という人で、頼朝にゆかり のある人物でした。また、実朝の妹に鞠子(竹御所)という人がいましたので 頼経が、この鞠子と将来結婚する前提で4代将軍を継ぐことになったのです。

もっとも頼経が将軍として鎌倉に下行してきたのは彼がまだ2歳の時です。
まさに形だけの将軍であり、鎌倉幕府の実権は完璧に北条執権家に握られる こととなりました。

やがて13歳になった年に当時28歳であった鞠子と結婚します。この組み合わせ はふたりの間に子供ができることを期待するのに、双方にとってギリギリの 年齢という感じでしょう。

そしてこれでうまい具合にふたりの間に子供が生まれていれば、鎌倉幕府の 将軍は、以降その血筋で続いていっていたのでしょうが(女系が混じるとは いえ頼朝の直系になりますし)、そうはいきませんでした。

天福2年(1234)7月27日、鞠子は難産の為死亡(子供も死産)。ここで頼朝の 血統は完全に途絶えました。

なお頼経の後は、頼常と別の女性(大宮局)との間に生まれた男の子である 藤原頼嗣が継いで鎌倉幕府5代将軍となりました。しかし頼朝ゆかりの血筋 の将軍も結局はその頼嗣で終わり、そのあとは天皇家ゆかりの親王将軍が 置かれることとなります。

(2010-01-05)


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