←↑→ 仮想旅2000(72) 大隅・薩摩

霧島神宮を8:07の日豊本線下りに乗り、8:26隼人で降ります。1.6km約15分
歩いて鹿児島神宮にお参りします。大隅国一宮。式内社・名神大。そして
五所八幡のひとつ「正八幡宮」でもあります。御祭神は天津日高彦穂穂出見尊・
豊玉比売命。

八幡様であるのに御祭神が応神天皇でないことについては(御祭神に加える
説もある)非常に多くの議論があります。伝承としては次の5種があります。

(1)八幡神とは本来皇室の祖先神を呼ぶもので本来は彦穂穂出見尊である。
  神武天皇が東征を始める前にこの地にて同神を祀り武運を祈ったのが
  八幡神社の発端

(2)八幡神とは本来は神武天皇のことである。神武天皇はこの地を出発して
  宇佐を通り、瀬戸内海を経由して大和に移動した。それ故にこの地と宇佐
  に八幡神社が作られたのである。

(3)八幡神は元々は震旦の国の王子であった。母の大比留女は朝日が胸の谷間
  に差し込んで懐妊し子供を産んだため、怪しんだ王臣たちが空船に乗せて
  流した所、この地に流れ着いた。そこでその地を八幡崎という。

(4)神功皇后が応神天皇を産んだのは実はこの地であった。大隅国の宮にて
  大盤石の陰で応神天皇を産み落とした。

(5)八幡神はこの地の大きな石に降臨した。この時石に自然に「八幡」の文字
  が浮かび上がった。

(4),(5)の話に関わっている石というのは、この神社の摂社(旧社地らしい)
石体宮のご神体となっている石と思われます。この石はコモで覆ってあり、
毎年このコモを交換する時は神職が潔斎して内陣に入り作業を行うことにな
っており、決して一般の目にはさらしてはならないことになっています。

このほか近年出てきた説としては、この神社が非常に古い時代に創建された
ため、まだその頃は八幡神と応神天皇は必ずしも結びついていなかったので
はないかというものもあります。

宇佐神宮の所で少し述べても良かったのですが、宇佐神宮の神官の家系は
辛島氏・宇佐氏・大神氏の3つがあります。一説によれば、御祭神の三柱神
の各々が、この各祀官家が奉じていた神ではないかともいいます。すなわち
辛島氏が神功皇后、宇佐氏が比売大神、大神氏が応神天皇なのですが、この
大神氏が宇佐八幡に関わってきたのは7世紀初頭ではないかともいわれます。
辛島氏と宇佐氏の時期は私もよく分かりませんが、辛島氏は渡来系の氏族で
すので、最も古いのは比売大神の祭祀なのかも知れません。

従って、正八幡宮の建立がそれ以前の6世紀頃に豊前地区からの移民により
行われたのであれば、その時は比売大神だけが祀られた可能性があります。
そしてそこに南九州の隼人一族に関わりの深い彦穂穂出見命が御祭神として
加えられた可能性もあるでしょう。もしそうだとしたら現在豊玉姫として
祀られている御祭神が本来は宇佐の比売大神だったのかも知れません。

この付近の議論は始めると終わらないようです。さて、鹿児島神宮でお参り
したあと、少し歩きます。

最初に目指すのは5.7km離れた国分市の大穴持神社。式内社です。もちろん
御祭神は大己貴命。

その後4km歩いて同市内韓国宇豆峯(からくにうづみね)神社。ここは鹿児島
神宮といろいろ関わりの深い神社であるようです。八幡神は大陸から渡って
来た神であるという説もありますし、鹿児島神宮の伝承の中で「からぶね」
というのも出てきました。この神社は霧島の隣の韓国岳とも関わりがあるの
かも知れません。

更にここから9km歩いて福山町の宮浦神社。ここは神武天皇が東征の折、休憩
した場所とされています。

鹿児島神宮・大穴持神社・韓国宇豆峯神社・宮浦神社。これで大隅国の式内社
5つの内4つをまわりました。残りのひとつは都合により後でまわります。

今日はこのあと約12km歩いて国分駅まで戻り、ここで泊まります。

翌12月26日(火)晴れ。

今日はまず、五所八幡の最後のひとつへ向かいます。

 国分7:59→8:56西鹿児島9:05→10:11上川内

ちなみに「川内」は「せんだい」と読みます。念のため。駅から約1km、10分
ほど歩いて新田(にった)神社に至ります。中世には薩摩一宮をこの後まわる
枚聞神社と争いました。

ここは邇邇芸命の御陵と伝わる神亀山に御鎮座しています。御祭神はその
瓊瓊杵尊を中心に、天忍穂耳尊・栲幡千々姫尊・天照大神。ここも正八幡
同様、応神天皇が入っていません。ここの八幡というのは、天照大神の
御形代である八咫鏡の八と栲幡千々姫の幡から生じたものとのことです。
ちなみにこの付近の系図はこうなっています。

 高産霊神――栲幡千々姫 +火明命
          ‖――+
  天照大神―天忍穂耳命 +瓊瓊杵尊  +火照命(海幸彦)
                ‖―――+
        大山祇神    ‖   +彦穂穂出見命(山幸彦)
          ‖――+木花開耶姫   ‖―鵜葺屋葺不合命
       鹿屋野姫神         豊玉姫   ‖――神武天皇
                          玉依姫

境外摂社に上記の火照命をお祀りする中陵神社と、木花開耶姫をお祀りする
端陵神社があります。

さてここで五所八幡を一覧にしておきます。

  筑前 大分(だいぶ)八幡宮 福岡県筑穂町
  肥前 千栗(ちりく)八幡宮 佐賀県北茂安町
  肥後 藤崎八幡宮     熊本県熊本市
  大隅 正八幡宮(鹿児島神宮)鹿児島県隼人町
  薩摩 新田八幡宮     鹿児島県川内市

お参りしてからもうひとつの一宮候補の地へ移動します。
 上川内10:56→11:49西鹿児島12:07→13:42開聞

駅から1kmほどの枚聞神社にお参りします。開聞岳の麓に祀られている神社で
す。町の名前と山の名前は「かいもん」ですが、神社の名前は「ひらきき」
と訓読みです。

本来の御祭神はこの開聞岳の神でしょうが、現在御祭神は大日霊貴女・天之
忍穂耳命・天之穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野樟日命・多紀理毘売
命・狭依毘売命・多岐都比売命、以上9柱。

しかし元々は猿田彦を祀っていたともいわれます。つまり開聞岳は目立つ山
で航海の目印となっていたため、この神は道案内の神とみなされ、道案内で
あれば、ということでいつの間にか猿田彦神と同一視されるようになったの
ではないかと思われます。

なお薩摩国の式内社は2社のみで、この枚聞神社が最初に載っています。も
うひとつは出水市の加紫久利神社です。

お参りしてから開聞駅に戻ります。15:30の西鹿児島行きに乗り15:56指宿に
着きます。今日はここで泊まります。

翌12月27日(水)晴れ。

朝から市内の揖宿(いぶすき)神社にお参りします。実はここも薩摩一宮を
名乗っています。天智天皇を奉斎した葛城宮の跡で、枚聞神社が開聞岳新宮
九社と称したのに対して、こちらは開聞新宮九社大明神と称しました。

御祭神は大日霊貴女・天智天皇ほか7柱。

お参りしてから神社のすぐそばの二月田(にがつでん)駅に行き、鹿児島市内
に戻ります。二月田8:07→9:20西鹿児島。市電で鹿児島港に向かいます。

ここからフェリーに乗り15分で桜島。フェリーターミナルから歩いてすぐの
ところにある月読神社にお参りします。

御祭神は月読命のほか、邇邇芸命・火火出見命・鵜草葺不合命・豊玉姫命。
和銅年間に勧請されて創建された神社と伝えられています。どこから勧請さ
れたのかは私も分かりません。天明年間に洪水で社殿が流出したため寛政10
年(1798)に宮坂の地に遷座しました。ところがこれが大正3年(1914)の噴火
で溶岩に呑み込まれてしまい、一時期は3kmほど北の桜島町にご神体だけ避難
していましたが、昭和15年現在地に社殿が復旧し、遷座しました。

御祭神をながめると、月読命以外の4神の中心は豊玉姫であることは容易に
想像が付きます。海神の娘ですので、潮の満ち引きに関係が深く、月読命と
ともに祀られても変ではありません。あとの3神はそれに伴って出てきたも
のでしょう。

京田辺市のところでそちらの大住が大隅から来ていることを述べたのですが
その元の地がどこであるのかは今の段階ではよく分かりません。鹿児島県内
で大きな月読神社としてはもうひとつ串良町に、かつては一ノ宮大明神と呼
ばれていた月読神社があります。近くに人工衛星観測所・地磁気観測所など
があるのが面白い。この神様はこういうことは好きなはずです。

なお、桜島・霧島・開聞岳を鹿児島三山といいます。

再びフェリーで鹿児島港に戻り、今度は埠頭の先の方まで行って13:10の
種子島屋久島行きに乗ります。15:45屋久島の宮の浦港に到着。今夜はここで
泊まりです。

翌12月28日(木)曇りのち晴れ。

港の近くにある益救(やく)神社にお参りします。保留していた大隅国の最後
の式内社です。ここは日本で最も南にある式内社。

御祭神は彦火火出見命を中心に、大山祇命・木花咲耶姫命・塩土翁命・豊玉
彦命・豊玉姫命・玉依姫命。この神は地元では一品宝珠権現と呼ばれ、屋久
島の主要な山頂全てにこの神を祀る祠が設けられています。宝珠とは彦火火
出見命が海神からいただいた潮満珠・潮干珠のことと言います。

島にはお昼まで滞在します。

この屋久島の地に式内社があるのは、この地域が大陸との交易において重視
されていたからでしょう。大陸への航路は北部九州から朝鮮半島を通るか、
直接黄海を突っ切って中国本土へ行くケースが多かったのですが、暴風雨に
より流されて南西諸島に流れ着いてしまうこともよくありました。そのため
大和朝廷はこの宮の浦を拠点にして、南西諸島の各島と交渉を行い、そうい
う場合の保護を依頼していたようです。

宮の浦を12:15の鹿児島行きに乗り、15:10に鹿児島港に帰着します。

そして、今度は鹿児島新港に移動して18:00の那覇行きのフェリーに乗ります。

今回鹿児島から桜島・屋久島・沖縄へと3つの航路を使用したのですが、その
3つの航路は全部別の場所から出ています。

沖縄行きのフェリーの到着は約24時間後、12月29日の夕方18:20です(途中、
奄美大島の名瀬港、徳之島の亀徳港、沖永良部島の和泊港、与論島の与論港
を経由します。いよいよ最後の県に突入します。




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