←↑→ 仮想旅2000(68) 肥前・筑後(3)・肥後

翌12月19日(火)曇り。

朝呼子の宿を出てから、約6kmの道のりを歩き、対岸の加部島の田島神社に
お参りします。加部島は現在フェリーターミナルから2kmちょっと行った所
にある呼子大橋によって結ばれています。この橋は海峡にある弁天島を
避けて、曲がって架かっている面白い橋です。弁天様の聖地故に、弁天様
の上を橋が通るなんて失礼だということで、こういう架け方になったとの
こと。日本人の信仰心は捨てたものではありません。

田島神社は式内社。名神大。延喜式肥前国トップに書かれています。御祭神
は多紀理姫尊・市杵島姫尊・多岐津姫尊の宗像三女神に大山祇命・稚武王命
を併せ祀ります。普通に行った時に登ることになる階段の奥(海岸そば)に急
な階段があって、そこに源頼光寄進の鳥居があります。

ここは松浦佐用姫(まつらさよひめ)伝承の地のひとつです。佐用姫は大伴狭
手彦の愛妃で、唐津の人ですが、狭手彦が朝鮮に出兵して行った時、別れが
辛くて唐津から船団を追ってこの地まで走ってきて、ここから先はもう陸地
が無いため、この地で遠くに消えゆく船影を見送っている内に石になってし
まったと伝えられます。その石を望夫石といい、この田島神社境内の末社・
佐與姫神社(末社というには大きいが一般に「摂社」と呼ばれるのは主祭神
と直接関係のある神を祀った神社だけなので、やはり末社ということになる
のでしょう)のご神体となっています。実際には古代の磐座で大陸へ向かう
船の安全祈願をしていた祭祀跡なのかも知れません。かなり巨大な石です。

この田島神社ではお祭りなどで社務所が開いている時はダルマ型のおみくじ
を頂くことができます。とても可愛い子ですので、そういう時期を狙って訪
れるのも良いでしょう。また貝で出来た絵馬の奉納もできます。

お参りしたあと、加部島を7:11のバスに乗り8:00頃、唐津大手口に到着しま
す。市内のバスで台形状の山・鏡山に登ります。この山の形はこの付近が
隆起地形であることを表しています。呼子から唐津に来る途中には、見事に
平らな形をした島・神集島(かしわじま)もあります。ここは神様達の集会場
と言われています。

さてこの鏡山も松浦佐用姫伝承の地のひとつ。実は松浦佐用姫は呼子まで
走っていったのではなく、この鏡山の上で大伴狭手彦を見送ったという説も
あります。そして更に次のような伝説も残されています。既出ですが再掲。

  狭手彦が去った後、佐用姫のもとに毎晩訪れて来る男があった。その男
  は狭手彦に生き写しであった。不思議に思った姫が男の服に麻糸の端を
  結びつけておいた。姫が翌朝男が帰った後麻糸をたどっていくと山の頂
  上の沼のところに大蛇がいて、糸はそこで終わっていた。数日後姫が戻
  らない為村人が山を探していた所、沼の中に誰かよく分からない人間の
  死体があるのに気づいた。人々は姫が大蛇に殺されたのであろうといい、
  そこに祠を建てた。

いわゆる三輪山説話型の伝説ですね。なお鏡山神社の本殿はこの鏡山の頂上
にあるのですが、一の鳥居は麓の登山口にあります。これを歩いて登ると、
今日はもうここでストップになるので今日はバスを使用しました。

さて鏡山から戻ってから大手口バスセンターから伊万里行きのバスに乗りま
す。このルートは以前は博多から肥前国北部を結ぶ大動脈だったのですが、
九州横断高速道が開通して以来、交通の中心が佐賀県南部の方に移ってしま
いました。お陰で逆にのんびりした感じの旅になります。

伊万里に着いたのが11時頃。ここから今度は国見峠越えの佐世保行きのバス
に乗り継ぎます。お昼頃佐世保市内へ。市役所前バス停で降りて亀山八幡宮
にお参りします。

佐世保の事実上の鎮守様です。亀山八幡宮という名前の神社は佐世保以外に
も下関と呉にあり、いづれも軍港であるのが面白い。これらの関連について
調べてみると、何か出てくるかも知れません(例えば亀山上皇とは関係ある
のか?)。境内はかなり広く、鳥居を通ったあと結構歩いて本殿まで行きます。
昔は祭りの時には見せ物小屋なども立っていましたが、最近はどうでしょう
か。祭りに行き合わせていないので、よく分かりません。

お参りしたあと裏手に抜けて(この道は迷いやすいので、慣れてない人は表
から回り込んだ方が無難)宮地嶽神社にお参りします。福岡県の宮地嶽神社
の関連社です。

時刻は13時。佐世保駅に移動し、大村線に乗って長崎へ。1時間40分ほど乗っ
て、15:12の着。市内の諏訪神社にお参りします。長崎のおくんちで有名な
ところです。この神社がちょっと複雑な性格の神社であることは以前どこか
で述べたかも知れません。今日はこの長崎で泊まりです。

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翌12月20日(水)曇り。

長崎駅6:04の鳥栖行きに乗り7:52肥前鹿島で降ります。日本三大稲荷の一つ
祐徳(ゆうとく)稲荷にお参りします。駅からバスで10分ほどかかりましたで
しょうか。

貞享4年(1687)に鹿島藩主鍋島直朝の夫人・萬子(後陽成天皇の曾孫)が京都
御所内の稲荷を勧請して創建されたものです。萬子は後にここに居を移し、
入定後、祐徳院と諡されましたので、神社の名前もそこから出ています。

お参りしてからバスで45分、武雄に出ます。武雄駅前で降りて、背後にある
猫の耳のような形をした山、御船山の武雄神社へ。天平7年に創建された神社
ですが、それよりもここは神功皇后伝説の地です。神功皇后がこの山に船を
つないだという伝説があり、それ故ここは「御船山」といいます。

私は小さい頃その話を聞いて、神功皇后というのはものすごい巨人で、船も
巨大なので、その船の艫綱をあの山の耳のような出っ張りに引っかけたのだ
ろうか、などと思ったりしたのですが、要するにこの山の近くに船を留めた
ということなのでしょう。

さて現在御船山のそばを流れている川は武雄川です。この川はたどっていく
と六角川に合流して有明海に注いでしまいます。それだと朝鮮に向かった筈
の神功皇后とはどうもうまく合いません。

しかしこの川の近くにもうひとつ、鳥海川が流れているのですが、この川は
北上して松浦川に合流し唐津湾に注ぎます。こちらの水系なら神功皇后に
絡んでもおかしくありません。というわけで、昔は松浦川水系の方の支流が
この御船山付近に来ていたのかも知れません。そして朝鮮に渡るための船を
この付近でも建造して唐津へ運んだのかも知れません。

さて、武雄駅に戻りバスで陶磁器の町・有田に向かいます。この付近はバス
もJRもわりと便利のいい所なのですが、今回の旅では基本的には追加料金の
必要なJR特急は使わない方針なので、バスにしました。

有田で向かったのは陶山神社。この地の守り神です。有田の陶磁器産業の
創始者である李参平の碑が建っています。毎年ゴールデンウィークには有田
駅から上有田駅までの間の約6km、陶磁器を売る出店がズラっと軒を連ねます。

ここ有田で12時になりました。上有田駅12:23の肥前山口行きに乗り鳥栖行き
に乗り継いで13:18佐賀で下車。駅前から北山ダム方面行きの昭和バスに乗り
大和町へ。川上峡温泉にある河上神社(与止日女神社)にお参りします。ここ
は京都の淀川の所でもいいましたが、全国のよど姫神社の中心地です。

壱岐・対馬に大量に式内社があるのに対して、肥前国には式内社は4つしか
ないのですが、そのうちのひとつがここです。そのため、この神社はこの後
まわる千栗八幡と肥前国一宮を争っています。

御祭神のよど姫というのは、神功皇后の妹とも言われるのですが、異説では
この河上神社の地に世田姫という神様が祭られていたのが発端で「よど」は
「よだ」が転じたものとも言われます。

さてお参りしたあといったん佐賀駅に戻ります。それから今度は西鉄バスの
久留米行きに乗り北茂安町の千栗で降ります。千栗八幡宮(ちりくはちまん
ぐう)にお参りします。

ここも五所八幡のひとつです。近年はここを肥前一宮として紹介する文献が
多いと思います。3月15日の「お粥だめし」は日本三大粥祭りの一つ。神亀元
年(724)に壬生春成により創建されました。お告げに従い千本の栗の木が生え
ていた所に建てたといいますので、本来は「ちくり」八幡だったと思いますが
いつの間にか「ちりく」と読むようになったようです。

お参りしたあと4km歩いて中原駅まで行きます。JRで鳥栖に出て、鹿児島本線
上りに乗り継ぎ、二日市で降りて、今日は二日市温泉に泊まります。

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翌12月21日(木)雨のち曇り。

朝から二日市温泉のすぐ近くの御自作天満宮へお参りします。菅原道真公が
ここの滝(といっても高さは数十cm)の所で国家安泰を祈願していたという所
です。ここから少し上ると白滝稲荷神社があります。そちらもお参りしてい
きます。その先を行くと天拝山の頂上まで行きますが今日はここまで。

ここから歩いて太宰府天満宮まで行きます。西鉄二日市駅をすぎてしばらく
行った所に榎神社があります。ここは太宰府天満宮の行宮です。ガランとし
た境内がお祭りの時は熱気に包まれるのでしょう。

しばらく歩いて古川橋の所をやや複雑な曲がり方をして右手へ。少し歩いて
都府楼跡があります。ここが菅原道真公が晩年執務をした場所です。さらに
歩いて観世音寺に至ります。今回は神社巡りなのでパスしますが、弘法大師
ゆかりの地であり、その昔日本に戒壇が3つしかなかった時代のひとつが
あった所です。中に入ると巨大な仏像が何体も並んでいます。

そこからかなり歩いて、やっと太宰府天満宮。菅原道真公が亡くなったあと
牛車で遺体を運んでいると、この地で牛が動かなくなった為、この地に埋葬
し、2年後そこに祠を建てて祭ったのが始まりです。京都の北野天満宮と並ぶ
道真公信仰の大中心地です。

お参りしてから西鉄の太宰府駅まで戻り、ここから二日市駅まで戻って、JR
に乗り換えます。8:32の鹿児島本線下り快速に乗り8:51久留米着。駅から
すぐそばの水天宮にお参りします。全国の水天宮の総本社。

御祭神は安徳天皇。壇ノ浦で九死に一生を得た建礼門院の侍女がこの地に天
皇と平氏一族の霊を祀ったのが発端といいます。基本的には水の神様として
安産や水商売の守り神として信仰の深い神様です。水の神様に行くのがまた
ちょうど雨の中になりました。

お参りしてからすぐ久留米駅に戻り9:25の荒尾行きに乗ります。荒尾に10:08
に着き、10:26の八代行きに乗り継いで11:10上熊本着。ここで熊本電気鉄道
に乗り換え、北熊本で乗り換えて12時前に藤崎宮前に着きました。

ここも五所八幡のひとつ。これで大分・千栗についで3つ目になります。
承平5年(935)に藤原純友の乱の平定を祈願して石清水八幡宮の分霊を勧請し
て創建されたと伝えられます。御祭神は応神天皇に、相殿に神功皇后と住吉
三神をお祭りしています。宗像ではなく住吉というところが少し面白い。
西南戦争の時までは熊本城内に祭られていました。

さてここまで九州の西側を通ってきたのですが、東側に移動することにします。

 熊本1333→1425大牟田1433→1458久留米1507→1557夜明1635→1733田川伊田
 1736→1825行橋1826→1847中津1857→1923宇佐

今日は宇佐で泊まりです。




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