←↑→ 仮想旅2000(67) 対馬・壱岐

翌12月17日(日)雨。

今日は対馬(つしま)の神社を回りますが、ここは公共の交通機関に見放され
ています。そこで今回の旅では基本的に使わないことにしていた自動車を使
用することにします。タクシーを1日借り切るつもりでいたのですが、対馬
在住のSさんが対馬とその後壱岐までの案内役を買って出てくれましたので、
ご好意に甘えることにしました。

さて対馬は基本的に北側の上県郡(かみあがたぐん)と南側の下県郡(しもあが
たぐん)に分かれます。昔は島自体がつながっていたのですが、日本軍がここ
に船を通すため地峡を爆破したため、現在は万関瀬戸となっていて、万関橋
が架かっています。

上県郡は大雑把に言うと北から上対馬町・上県町・峰町・豊玉町に分かれます。
この日の朝船が着いたのは上対馬町です。船が着くのは4時半ですが、7時まで
船内に留まって、それから降りることもできますので、そちらを選択しました。
(途中で出ることはできない)付近の古墳を見学している内に8時頃、Sさん
と落ち合うことができました。

まずは上対馬町内の厳島神社へ。この付近は紅葉の名所のようです。目の前に
は高さ455メートルのオメガ塔があります。そのあと上県町に入って天神多久
頭魂神社、伊奈久比神社と訪れて、木坂の海神(わたつみ)神社に至ります。

対馬国一宮。延喜式名神大社「和多都美神社」です。御祭神は豊玉姫命・彦火
火出見命・鵜葺屋葺不合命、宗像神・道主貴神。中世以降は木坂の八幡様とし
て信仰されていました。300段の階段を登ったところにある境内は広く、立派
な社殿を持っています。さすがに見晴らしがいいです。

お参りしてから今度は豊玉町に入ります。ここの仁位の和多都美神社にお参り
します。じつはここも上記延喜式の和多都美神社の候補地です。御祭神は豊玉
姫命・彦火火出見命。そもそもこの町の名前もここから出たものでしょう。
付近には満珠瀬や干珠瀬など、海幸彦・山幸彦関連の遺跡も多く残されていま
す。海中の立派な鳥居が印象的です。

お参りしてから対馬南部へと移動します。万関橋を渡り浅茅湾を回り込んで、
湾の南岸、美津島町の大吉戸神社へ。白村江(はくすきのえ)の戦いの敗戦の後、
新羅が勢いに乗って日本に攻めてくる場合を想定して作られた金田城の城跡の
そばにあります。

そのあと島の西側に回り込み厳原町に入ります。まずは小茂田浜神社へ。ここ
は今度は元寇の時の激戦地の跡に建つ神社です。文永の役で戦死した宗助国が
祭られています。

そのあと今度は島の南端までいき多久頭魂神社へ。ここは神功皇后が朝鮮に攻
めて行った時に武運を祈って天照大神をお祭りした場所。ということで1日に
して3つの戦役に関わる神社を連チャンで回りました。対馬は常に日本と朝鮮
との交渉と交易と戦役に翻弄されてきました。

そして最後は厳原の市街地へ。ここは恵美須神社・湯島天神社・天神神社・
対馬神社と神社が集まっています。それらに順にお参りして、対馬の神社の旅
は打ち上げ。厳原のフェリーターミナルに向かいます。

厳原港を15:25のフェリーに車ごと乗って、壱岐の郷ノ浦に17:35に到着します。
今日は郷ノ浦にてSさんと一緒に泊まりです。

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さて、旅館に入って一休みしてから、町内の塞神社にお参りします。普通神社
というのは日のある内に回るものですが、この神社は夜行った方が雰囲気が
いい。

神社の入口のところに巨大な陽物が立っていて、初めて行った人はドッキリ
です。中学生の修学旅行などだと女の子たちがキャーキャー騒ぎそうな感じ。
お参りして社殿の中をのぞき込むと、たくさんの陽物・陰物が奉納されてい
ます。御祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)と猿田彦命(さるたひこ
のみこと)。実はここは天宇受売命の重要拠点のひとつです。

翌12月18日(月)曇りのち雨。

今日は壱岐の神社を回ります。壱岐は小さな島ですが4つの町に分かれてい
ます。西南に郷ノ浦町、東南に石田町、北部に勝本町、東部に芦辺町。

まずはこの郷ノ浦町の中心部に集まっている幾つかの神社を訪問したあと、
町内内陸部、物部の天手長男神社(あめのたながおじんじゃ)を訪れます。
壱岐国一宮。御祭神は天忍穂耳尊(あめのおしおみみのみこと)・天手力男命
(あめのたぢからおのみこと)・天鈿女命(あめのうずめのみこと)。式内社・
名神大です。ここには「物部」の名にふさわしく物部布都神社も同居して
います。

続いてここから距離にしてはすぐなのですが町境を越えて芦辺町に入り住吉
神社にお参りします。ここも式内社。名神大。御祭神はもちろん住吉三神。

一般に大阪・下関・博多の住吉神社を三大住吉というのですが、この壱岐の
住吉を加えて四大住吉ということがあります。住吉の神というのは、つまり
海上運行の神ですので、大和・京都から瀬戸内海を通り博多に至って、玄界
灘を越えて朝鮮半島に行くまでの経路に住吉が分布しているわけです。

お参りしたあと国道をまっすぐ北上し、勝本町の北端に至ります。ここに
聖母(しょうも)神社があります。聖母というと現代人はマリア様を連想して
しまいすが、この聖母とは応神天皇を産んだ母、つまり神功皇后のことです。
御祭神は神功皇后・応神天皇の他、仲哀天皇(神功皇后の夫)・住吉三神・
天照大神。

このあと南東に抜ける道を少し走ると新城神社に至ります。ここは元寇絡み。
文永の役で戦死した平景隆を祀ります。

このあと芦辺町に入り、進路を北東に変更して、男岳・女岳という対の火山
に向かいます。ここに男岳神社・女岳神社があります。これは純粋にこの山
をお祭りする神社でしょう。230体にも及ぶ石猿の群が壮観です。

車という文明の利器がなかったら、こういうところまで回るためには壱岐に
数日滞在が必要でした。Sさんに感謝。

お参りしたあと、今度は島の中央部まで行きます。午前中通った国道の近く
まで入ったところ、芦辺町内・国分に月読神社があります。名神大。以前の
神社巡りの時に私が見つけきれなかった神社です。やっと存在を確認できま
した。ここの御祭神はちょっと変わっています。月読神社なら月読命だろう
と思ってしまうのですが、ここは中月夜見尊・左月弓尊・右月讀尊と、三神
に分裂しています。しかもそれぞれ別の字で「つくよみ」と読ませている。
この神社はまだ今後研究する必要があると思っています。

さてここから今度は山を回り込むようにして同町内湯岳の興(こう)神社にも
お参りします。実を言うとここも壱岐国一宮・天手長男神社の比定地の一つ
なのです。最初に行った天手長男神社からも距離的にすぐです。

車は石田町に入ります。まず行ったのが筒城仲触の白沙八幡神社。延喜式の
海神社の比定地のひとつ。そして最後は印通寺(いんどうじ)港の近くの
志々岐神社。ここで打ち上げです。

Sさんは1650の対馬行きに乗るために郷ノ浦に戻りますが、私は印通寺港で
降ろしてもらって、1600の佐賀県の呼子行きのフェリーに乗ります。私は
Sさんによくよくお礼を言って別れました。今日は私は呼子で泊まりです。




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