←↑→ 仮想旅2000(54) 京都(1)

翌11月29日(水)晴れ。

さて今回京都では宿は1ヶ所にずっと連泊してそこを拠点にまわることにし
ました。これで荷物を減らすことができて楽になります。選んだのは上京区
の京都シティホテル。選んだ理由は晴明神社の近くということです。本当は
プチホテルペンション京都の方が同じブロックになるのですが、予算の都合
で今出川通り(旧一条大路??)を渡りました。

今日は京都の西側の神社をまわります。

朝から地下鉄と阪急で東向日駅へ行き、ここから4km歩いて大歳神社。更に
2km歩いて大原野神社。

延暦3年(784)長岡京建設の際に、藤原一族の氏神である春日大社の神を勧請
して創建されたものですが、長岡京がすぐなくなってしまい平安京に都が移
ったため、文徳天皇の御代の850年あるいは851年に現在地に御遷座しました。
この御遷座には年代的に考えて陰陽頭・滋岳川人が関わっている可能性もあ
ります。

平安京の裏鬼門を守っている神社と思われますが、実際には少し裏鬼門の線
からはずれています。旧御所の位置から艮坤線を引くと、大原野神社と大歳
神社の中間点付近を通過してしまうのです。

そもそも鬼門というのは近年では鬼の出る不吉な方角と思われているのです
が、本来は財運に関わる方位です。平安京の鬼門は比叡山でしっかり守護さ
れていますが、裏鬼門の抑えが弱いため、朱雀の小椋池も淀川となって大坂
に流れていくこともあり、平安京の財運は全て大坂に注ぎ込むことになって
しまうはずです。

さて、ともかくもお参りしてから松尾神社方面に向かいます。行程約8km。

まず松尾神社の手前にある葛野坐月読神社にお参りします。ここは壱岐氏が
管理していた神社で、壱岐の月読神社と直結する神社です。恐らくは欽明天
皇頃の創建と思われます。御祭神は月の神ですが、日本書紀の顕宗天皇の巻
によれば高産霊神の神裔と考えられ、天照大神の弟の月読命とは無関係のよ
うです。

つまり私は今まで月読命というのは、伊勢系・月山系の2つがあると思って
いたのですが、そのほかに壱岐系・大隅系があるようです。

さて、お参りしてからそのお隣、松尾大社にお参りします。京都で恐らく
最も古い神社です。昨日行った日吉大社と同じく大山咋神をお祭りする神社。
この神社の風水的な意味については翌日の項で触れます。

秦一族・鴨一族ゆかりの神社で、松尾大社が御神体とする松尾山は鴨一族が
本拠地としていた奈良の葛城の葛城山の真北に位置しています。さてこの
神社の話を始めると凄まじく長くなるので、今回は控えておくことにして、
お参りしたあと、このまま愛宕に登ります。

16時すぎに愛宕神社に到着。ここは本宮・若宮・奥宮と並んでいるのですが
若宮がその中心です。火の神をお祭りしています。全国愛宕神社の総本社。
役行者と泰澄上人(白山の開基)が一緒にこの山に登った時、大天狗が現れた
といいます。この天狗は愛宕太郎坊と呼ばれ、全国八天狗の筆頭とされてい
ます。この二人が愛宕に登ったのは私の推定では702年の夏くらいです。

この時役行者は69歳、泰澄は21歳。年老いた導師が才気あふれる若い行者に
導師自身が所属する賀茂一族の聖地・愛宕山で一体何を教えたのでしょうか。

ここで日暮れを待ち、それから山を降ります。ホテルに帰り着いたのは21時
でした。

翌11月30日(木)曇り。

今日は桂川水系に属する神社で昨日行かなかった所をまわります。

今日は先にルートを全部書いてしまいましょう。

 →木島坐天照御魂神社 4.8km
 →大酒神社     0.5km
 →野宮神社(嵯峨野) 3.4km
 →梅宮大社     2.8km
 →野宮神社(西院)   3.4km

西院の野宮神社にお参りしたあとは電車を併用してホテルに帰りました。

野宮神社が2つありますが、どちらも意味は同じ。伊勢の斎宮になられる
お方がその前に潔斎をする場所です。源氏物語ではこんな場所にまで光源
氏は忍んで行っています。一般には嵯峨野の野宮神社が有名で、以前は
皮をむかないままの黒木で作った鳥居が立っていました。現在は木の入手
困難により黒木風のコンクリート製になっています。

梅宮大社はお酒の神様です。酒解神・大若子神・小若子神の三神にのちに
酒解子神が加えられて四柱となっています。延喜式の段階ではすでに梅宮
坐神四座・並名神大・月次新嘗、と記されています。二十二社の下八社の
二番目。藤原不比等の妻の橘三千代が創建した神社で、祭礼の奉幣使には
かつては橘氏の者が立っていました。

大酒神社のほうは秦氏の神社です。御祭神は秦河勝。聖徳太子のブレーン
だった人です。日本・ユダヤ同祖論の人たちにはおなじみの神社で、大酒
(大辟)というのは本来はダビデと読むのではないかとの説もあります。
広隆寺とは本来一体のもので摩多羅神のお祭りが有名。摩多羅神のお祭り
をするのはここと東北の毛越寺だけかも知れません。

そして最後に木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてらみむすびのやしろ)。

三本柱の鳥居で有名なところです。一般の地図には「蚕ノ社」と記されてい
ますが、それはこの神社の摂社です。ここは秦氏・鴨氏の信仰の中核であり、
京都の風水の中核にもなっている場所です。この鳥居は下記のような聖地に
向いています。

       双ヶ丘
        ・
   愛宕山 / \ 四明岳(比叡山)
      /   \
     /     \
    ・―――――――・
 松尾山         稲荷山(伏見稲荷)
       葛城

この三柱鳥居の一方から比叡山から登る夏至の日の出を遙拝することができ、
結果的に逆の柱の方向に冬至の太陽が沈む松尾山があります。そして三柱鳥居
の一方からは夏至の日の入りが拝める愛宕山があり、逆に反対側の柱の方向に、
冬至の日の出が見られる伏見の稲荷山があります。

夏至日出−冬至日没ラインは寅申線と呼ばれますが、このラインに下記のよう
なポイントが乗っています。

                 比叡山
                 /
               下鴨神社
               /
             御所
            /
          木島神社
          /
        松尾大社

京都で最も古く作られたのは松尾大社・上賀茂神社と思われるのですが、この
2つの神社は艮坤線で結ばれています。つまり上賀茂神社と下鴨神社の位置と
いうのは松尾大社を入れることにより明確になってきます。神社は適当な位置
に建てている訳ではないのです。平安京が建てられた時期は藤原氏の力が一時
的に弱くなっていた時期で、陰陽五行に詳しかった桓武天皇はこの地を管理し
ていた秦氏と共に、きれいな風水的設計をして御所の位置を定めたのでしょう。




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