←↑→ 仮想旅2000(53) 丹波・近江(2)

翌11月27日(月)雨のち曇り。

亀岡の市街地から5.8km歩いて出雲大神宮にお参りします。御祭神は大己貴命
と三穂津姫命ですが、三穂津姫を主とする説もあります。丹波国一宮。社伝
によれば和銅2年(709)に社殿を建立したとのこと。

島根県の出雲大社は元はここにあったという説があり「元出雲」の名もあり
ますが、徒然草に「丹波に出雲といふ所あり。大社を移してめでたく造れり」
とありますので、向こうの出雲大社を勧請して創建されたものと考えるのが
妥当でしょう。一応吉田兼好は吉田神社の神官の家の出ですし信頼できるよ
うに思います。

お参りしてから3.6km歩いて千代川駅に出ます。少し移動します。

 千代川1040→→1123京都1128→1218米原1310→1326高宮1345→1349多賀大社前

米原から先は近江鉄道です。多賀大社にお参りします。もちろん御祭神は
伊弉諾尊・伊弉冉尊。伊弉諾尊が三貴子(天照大神・素戔嗚尊・月読尊)に後
事を託して引退した場所の候補地の一方(もうひとつは淡路島の伊弉諾神宮)
です。中世には「お伊勢参ればお多賀に参れ。お伊勢お多賀の子でござる」
と言われて、篤く信仰されていました。

お参りしたあと近江八幡に移動します。米原に出てJRで移動した方が近いと
は思いますが、今日はこれで終わりですので、近江鉄道で八日市経由で近江
八幡に入りました。今日は近江八幡市で泊まりです。

翌11月28日(火)晴れ。

今日は夜明け少し前に旅館を出てまず市内八幡山の麓にある近江八幡こと
日牟礼(ひむれ)八幡にお参りします。そのあと北東に4.9km歩き、大島奥津島
神社にお参りします。

このふたつの神社の経緯はかなりややこしいことになっているようです。ど
れがどうなったかについても諸説あります。だいたいのところをまとめると
こういうことになるようです。

元々現在の八幡様の場所にあったのは式内社・大島神社で、後に日牟礼神社
が同地に祭られたのですが、ここに更に八幡神が勧請されました。後佐々木
氏がこの地を管理するようになった時に御祭神の再編が行われて八幡神を
中心にしてここは日牟礼八幡宮とし、大島神社は式内社・奥津島神社の場所
に遷座されました。このため大島奥津島神社はひとつの境内にふたつの神社
が祭られています。また日牟礼八幡内に摂社大島神社が祭られています。

佐々木氏の手によって八幡宮は山上の上宮と麓の下宮と二箇所に分けて祭ら
れていたのですが、豊臣秀次が山の上に城を築くため、上宮を日杉山に移す
ことにして一時的に下宮に合祀して工事を始めたところ、秀吉のために自害
されられてしまったため中断。結局麓に合祀されたままになってしまったと
いうことになるようです。

なお御祭神は日牟礼八幡は応神天皇・神功皇后・比売大神。神功皇后の出生
地という説もあるのですが、それでは上記私が再編した歴史とは矛盾してし
まいます。ほんとに難しい。また大島神社は大国主命、奥津島神社は奥津島
姫命です。奥津島神社は延喜式の名神大です。なお奥津島神社は最初は琵琶湖
湖岸沖合1.6kmの沖島に御鎮座していたともいいます。

大島奥津島神社から1時間半かけて近江八幡駅まで歩いて戻ります。JRで大津
の隣の膳所へ移動。ここから歩いて約30分で石坐(いわい)神社に至ります。
式内社。元は北西4kmほど離れた御霊殿山に御鎮座していたとされ、そこに
八大龍王と呼ばれる巨岩があり、旧社地と思われます。この神社自体一時期
八大龍王社と呼ばれていました。昔の磐座なのでしょう。

お参りしてから1.9km歩いて大津の市街地の中にある天孫神社に至ります。
元は四宮神社と呼ばれていたのですが、これは御祭神が四柱(彦火火出見尊・
国常立尊・大己貴神・帯中津日子尊)であるからとか、主祭神の彦火火出見
尊が天照大神から4代目(天照大神−天忍穂耳神−邇邇芸命−彦火火出見尊)
だからであるなどといわれます。

日吉大社と深い関わりのある神社で毎年4月の榊神事ではこの神社の神官が
大榊を持って日吉大社に赴き神霊を宿して持ち帰り神殿に奉祭。そして10日
後また大社に帰しに行きます。これは日吉大社の御祭神・大物主神(大己貴
命)が元々三輪山から勧請されたものなので、それを再現する行事であると
いわれています。本来は大和の三輪山と往復していたのかも知れませんが、
この地に大己貴命をお祭りし、祭りを簡易化したものなのでしょう。この
神社は三輪山の山頂の真北にあるのです。

さて天孫神社を出てから2kmほど歩いたところに、蝉丸神社というのが3つ
近くにかたまっています。ここは多くの和歌に詠まれている逢坂の関があ
った場所です。御祭神は猿田彦神・豊玉姫神・蝉丸。

蝉丸は百人一首でもおなじみですが琵琶の名手で源博雅が彼の琵琶の名曲
を聴くために3年掛けて通ったという話が今昔物語に収録されています。

3つお参りしてから京阪の大谷駅に行き、浜大津のりかえで12時半ころ
近江神宮前に到着します。近江神宮にお参りします。

ここは天智天皇をお祭りする神社です。天智天皇は大津に宮を造りましたが
壬申の乱で焼け落ちてしまいました。その遺徳を偲ぶ人たちが明治の頃から
神社の創建運動を始め、昭和13年(1938)に造営が始まりました。

お参りしたあと駅に戻り、京阪の終点の坂本まで乗ります。日吉大社にお参
りするのですが、まずは入口のとこを守っているこの坂本の酒井神社・両社
神社からです。

酒井神社は元々お酒の神様を祭ったもので、平安末期に穴太村の高穴穂神社
の御祭神が勧請され若宮と称し、酒井若宮両社と呼ばれました。のちに浅野
長政がこの神社を産土神として保護、その50年ほど後に合殿が分離されて
北両社・南両社とされます。この北両社が酒井神社・日吉八王子権現、南両
社が両社神社・日吉客人権現となったものです。

さて日吉大社にお参りします。

日吉大社は元々古事記にも書かれているとおり比叡山の神様として大山咋神
(おおやまくいのかみ)を祀ったものです。八王子山がそのご神体です。しか
し後に三輪山から大物主神(おおものぬしのかみ)が勧請され、前者を小比叡
(東本宮)、後者を大比叡(西本宮)といいます。

一般に勧請された神の方が優位と見なされるため、長らく東本宮が西本宮
の摂社扱いされていました。しかしこれが明治時代になると元々は大山咋
神の神社だったからということで、東本宮が正とされ、西本宮が逆に摂社
扱いされるに至ります。そして昭和3年に至って、やっと両本宮を対等とし、
二座の神社と認定されました。

この神社の御祭神は簡単に書くと次のようになります。

 大比叡 西本宮   大物主神
 八王子 八王子社  大山咋神荒魂・鴨玉依姫命荒魂
 小比叡 東本宮   大山咋神・鴨玉依姫
 聖眞子 宇佐宮   比売大神
 客人  白山姫神社 菊理姫

実際には八王子社は牛尾神社・三宮神社に分かれており、また玉依姫は実際
には樹下神社に祀られているのでこれ結局神社は7つになって、これを日吉
七社あるいは山王七社と呼ばれます。この樹下神社の所には霊泉があります
が、どうもこの場所がこの神社の出発点のようです。

なお、西本宮の御祭神は本来は大物主神のはずですが、大物主神は大己貴神
(大国主神)の幸魂奇魂であるとされていますので公式には西本宮の御祭神は
大己貴神ということになっています。また宇佐宮の御祭神も本来は比売大神
のはずですが、宇佐の比売大神は宗像三女神と同一視する説がよくあります
ので、それに従って現在公式には田心姫と書かれています。

というわけで、結局現在の日吉七社の公式の御祭神は下記の通りです。

  牛尾神社  大山咋神荒魂
  樹下神社  鴨玉依姫命
  東本宮   大山咋神
  三宮神社  鴨玉依姫命荒魂
  西本宮   大己貴神
  宇佐宮   田心姫神
  白山姫神社 菊理姫

上4社が元からの御祭神で、下三社が勧請されたものということになります。
日吉大社にはこれらの更に摂社が多数あり、二十一社、百八社が数えられて
いました。

さて日吉大社の中をあちこち歩き回ってお参りしたあと、京都に移動します。

坂本から京阪と地下鉄東西線で京都市内のホテルの近くまで行き、そこで
泊まりです。




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