←↑→ 仮想旅2000(47) 出雲(6)

翌11月16日(木)雨のち曇り。

七類から境港の方に出て、そのまま米子方面へ歩きます。約20km歩いて粟島
神社に到達します。少彦名命の重要な縁故地です。

少彦名命(すくなひこなのみこと,えびす様)は大国主命(おおくにぬしのみこ
と,だいこくさま)と一緒に長年にわたって国造りをなさいましたが、のちに
粟島から常世の国に帰って行かれました。その粟島がこの米子市の粟島神社
であるというのが伯耆国風土記の逸文にあります。

少彦名命は後に淡島様とみなされるのですが、それはこの粟島と縁があるこ
とから、粟島と淡島が同じ音だとして言われるようになったもののようです。

今日はこのあと米子市の中心部まで5km歩いて、市内で泊まりです。

翌11月17日(金)雨。

米子市内の宿を出て、まず安来市の加茂神社まで行きます。行程12km。その
あと今度は飯梨川を渡って東出雲町へ。行程約9kmで黄泉比良坂(よもつひら
さか)に至ります。伊邪那岐命と伊邪那美命がケンカ別れをした場所です。
つまりこの南は黄泉国(よみのくに)ということになるのでしょう。

さて黄泉比良坂から少し歩いて揖夜神社(いやじんじゃ)に至ります。

以前美保関のえびす様が揖夜の溝杭姫の元に通う話を書いたと思いますが、
その溝杭姫の本拠地がもしかしたらこの地なのかも知れません。あるいは
他に溝杭姫をお祭りする神社がこの近くにあるのかも知れませんが、まだ
私も研究不足。この世界には神社のある方角が分かってしまうという人が
いるのですが、私はそういう神社レーダーは持ち合わせていないので神社
の近くまで来ていてもそれを見つけきれないことがあります。

実際には現在この揖夜神社の御祭神は伊弉冉命で、あわせて大己貴命・
少彦名命・事代主命をお祭りしています。また境内の韓国伊大氏神社には
須佐之男命・五十猛命がお祭りされています。いづれも式内社です。

お参りしてから3.2km歩いて、意宇川のほとり、阿太加夜神社に至ります。
延喜式には入っていませんが、出雲国風土記で「阿太加夜の社」と名前だけ
書かれていますので、神社ができたのはかなり古い時代と思われます。
御祭神はこの地区・出雲郷の守護神ではないかとのこと。

お参りしてから1.3km歩いて松江市内・武内神社(平浜八幡宮)に至ります。
御祭神は武内宿禰。地元では長寿を叶えてくれる神様として崇敬されている
とのこと。お参りして今日はこのまま松江市内に泊まります。

翌11月18日(土)晴れのち雨。

松江市内を出てから北へ。出雲半島を縦断して加賀に至ります。行程は12km
ですが山道ですので4時間かかりました。

加賀神社にお参りします。御祭神は支佐加比売命(佐太大神の母)。あわせて
佐太大神、また、伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神をお祭りします。佐太大神
を猿田彦と書いているものもありますが、これは明治時代に強引に書き換え
られたもので(佐太大神の本拠地・佐太神社まで書き換えられそうになった
が神社が強硬に反対して難を逃れた。この手の話は多い)、ここに猿田彦神
はもちろん無関係です。

お参りしたあと、そのまま港に出て、遊覧船に乗り、加賀の潜戸(かがの
くけど)に行きます。ここは海から行くのが一番で、海から行く場合、この
加賀から出る遊覧船(約50分,4〜11月)を使うのが一番のようです。加賀の
潜戸は旧潜戸と新潜戸があるのですが、佐太大神がお生まれになったのは、
この新潜戸の方ではないかと言われているようです。内部の岩の上に鳥居と
祠もあります。

旧潜戸は湾内にあるのですが(西向きで、そのためか賽河原伝説の地になっ
ている)、新潜戸は湾の出口にあり、ちょうど湾外東側にある的島の方を向
いています。佐太大神が生まれた時の神話に金の矢の話が出てきますので、
矢の話がある場所と的島というのはピッタリあっています。この的島という
のは真ん中がへこんだ形をしているのだそうです。

加賀に戻ってきたところで15時半。今日はここで泊まります。




(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから