←↑→ 仮想旅2000(46) 出雲(5)・隠岐

翌11月14日(火)曇り。

美保ヶ関で朝日(6:40)を拝みます。今日は雲の間から微妙に見える感じです
が、まぁこれはやむを得ません。美保神社でお参りします。

美保神社は現在では事代主命(ことしろぬしのみこと,えびす様)と三穂津姫命
をお祭りする神社ということになっていて、どちらかというと事代主命の方
がメインと見られがちなのですが、やはり神社の名前からしても三穂津姫命
が本来の主祭神でしょう。実際この神社では左殿(一の御前)が三穂津姫命、
右殿(二の御前)が事代主命になっています。

また美保湾の入口の所に客人神社があり、この御祭神は大穴持神(=大国主神,
だいこく様)とされているのですが.....もしかしたら、こちらが本来の美保
神社の右殿の主で、客人神社に事代主命がおられると考えた方がいいのかも
知れません。

私もこの付近は頭の中が混乱して、三穂津姫をうっかり事代主神の奥様と
書いたりしたこともあると思うのですが、三穂津姫は日本書紀では大物主神
(=大国主神)の奥様になっています。ですから事代主神と三穂津姫ということ
になれば、事代主神とその義理のお母さんが祭られていることになります。
(と最初の内は書いていたつもりだが......)

ただ古事記では大物主神は大国主神が国造りのパートナーを探している時に
海の向こうからやってきた神として描かれていますので、そのイメージでは
まさにえびす様です。つまり古事記の大物主神にはえびす様のイメージがあ
りますから、三穂津姫が大物主神の妻ということは事代主神の妻という所へ
連想が働く可能性もないとはいえません。

三穂津姫は日本書紀では高皇産霊神の娘になっているのですが、風土記では
御穂須須美命の名前になっていて、次のように書かれています

 天の下をお造りになった大神命が越国におられる神意気都久辰為命の御子
 の俾都久辰為命の御子の奴奈#g比売命を娶ってお生みになった神

ということで「天の下をお造りになった大神命」の娘ということになります。
この神が何を指すかはここだけ読んだのでは分からないのですが、少し前か
ら読むと大穴持神を指していることが分かります。ですから風土記の説では、
三穂津姫は高皇産霊神の娘ではなく大国主神の娘ということになります。も
しそちらが正解なら、事代主神とは異母兄妹ということになりますがそれで
もやはり一緒に祭られているのは不自然な気がします。同母兄妹は一緒に祭
られることがよくありますが、異母兄妹は(特に大国主命のように多数の神格
が合同した神の場合)そうないと思います。

しかしまぁ御祭神の入れ替わりがあったとしても、美保神社と客人神社の
両方にお参りすれば、えびす様・だいこく様と、この岬の守護神であろう
美保津姫の御三方にご挨拶できることになると思います。

さてお参りしたあと、境港まで歩いていきます。8.0km約2時間。そして隠岐
に向かうのですが、実は隠岐行きは14:40になります。これは待つのみ。

そして隠岐の島後の西郷港に18:45に着きます。今日はここで泊まりです。

翌11月15日(水)雨。

早朝、西郷の西(港から約2km)にある玉若酢命神社にお参りします。式内社。
隠岐国総社です。御祭神は玉若酢命ほか五柱。玉若酢命はこのあとまわる
水若酢命神社の御祭神と対の神様ではないかと思われます。境内に八百比丘
尼が植えたと伝えられる大きな杉があります。

西郷を805のバスに乗って844に水若酢神社到着。ここは島の中心部より少し
西北です。出雲にさえ2つ(出雲大社・熊野大社)しかない延喜式の名神大の
神社が隠岐には4つもあるのですが、その中でもこの神社が隠岐一宮。御祭
神は水若酢命です。併せて中言神・鈴御前を配祀します。

昔漁をしていたら魚ではなく白鷺がかかっていて、網から外すと飛んできて
この地に止まったといいます。また2軒の家の屋根を往復していた為、その
両家で話し合って、この地に神社を建てることになったとのこと。

さて、ここから今度は島の北部の伊勢命神社へ行きます。行程は約8km。2時間
かけて歩いて到着は11時。ここの御祭神は伊勢命ですが「伊勢」という名前
から以前は「内宮」と称し、伊勢の神宮の関係の神社のような呼ばれ方をして
いましたが明治以降は延喜式の名前に戻しています。ここも名神大。

お参りしてから約6km歩いて福浦まで戻ります。1258のバスに乗って1346に
西郷着。約2時間待って1605の高速船に乗り、美保関町の七類に帰着します。
今日はここで泊まりです。




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