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翌10月30日(月)曇り。

今日も曇りですが、天気はよくなりそうです。少し遅めに出て川沿いの道を
4km遡ります。ちょうど昼頃に丹生川上神社(にゅうかわかみじんじゃ)に至り
ました。

丹生川上神社は現在、下社・中社・上社という3つあるのですが、三社構成
の多くの神社とは違ってこれらは全く別のものです。また存在する場所も
かなり離れています。

下社は丹生川のほとり(下市町長谷)にあります。丹生川は黒滝村に源を発し、
五條市の南、丹原付近で吉野川に合流します。下市から309号線に沿って南下
すると到達できます。御祭神は闇おかみ神

上社は吉野川の本流のほとり(川上村迫)にあります。169号線沿いになります。
下社からは東に14km、北に3km行った地点です。大峰山脈をはさんで反対側に
なります。御祭神は高おかみ神。

中社は吉野川に国栖で合流する高見川を遡った東吉野村小にあります。三社
の中では最も奥の地。上社から東に2.8km、北に5.8km行った地です。御祭神
は罔象女神(みづはのめのかみ)。

実は本来の丹生川上神社はこの中社一社のみです。ところがそれがいつの間
にか忘れられてしまい、この神社の所在が分からなくなってしまいました。

白井宗因は「神社啓蒙」(寛文年間−1670頃)においてこの神社を「下市之傍
山中丹生村」と比定し、その後の多くの書がこの説を踏襲したため、明治4年
この長谷の丹生大明神が丹生川上神社であろうとのことで官幣大社に列せら
れました。

ところが明治7年江藤正澄が寛平7年(895)の太政官布に丹生川上神社の御禁制
の地の範囲が「東限は塩匂、西限は板波滝、南限は大山峯、北限は猪鼻滝」
と書かれていることを発見。明治4年に定められた長谷の神社の位置はこの
条件を満足していないことを指摘しました。そして彼は猪鼻滝とは小川郷
萩原村の滝のことではないかと推定、迫にある高おかみ神社を正しい丹生
川上神社の位置であると比定しました。

江藤は迫の神社を奥の宮、長谷の神社を口の宮と呼びましたが、明治29年に
内務大臣の裁定が出て、長谷を下社、迫を上社とし共に官幣大社にすること
で合意が成立しました。

ところが大正4年になって森口奈良吉が「丹生川上神社考」を著し、上記の
禁制の地の詳細な検討を行い、塩匂は大豆生の塩和田、板波滝は小川村と国
栖村の境のイトサミ、大山峯は小川村と川上村の境の南方の峯、猪鼻滝は
小川村萩原下と考証、この結果、丹生川上神社は小川村の蟻通神社であると
いう考証結果が発表されました。森口は同社の祭神木像が藤原期の優品であ
ることなど、更に幾つかの傍証をあげ内務省に詳細な調査を求めました。そ
してその調査の結果、森口説は認められ、大正11年ここを丹生川上神社中社
として、官幣大社に列し、また三社は一体とみなされ、この中社に社務所も
置かれることになったものです。

戦後は三社は分離独立して別々の神社に戻っています。

さて、この丹生川上神社中社は三川合流の地にあります。熊野のところでも
いいましたが、昔から川の合流地点というのは重要でしたが中でも三川合流
の地は格別です。ここは左から木津川、中央から日浦川、右から四郷川とい
う3つの川が合流しています。先程も述べた古い罔象女神の神像は和服姿の
女神神像としては日本最古のもの。その他にもこの神社には平安時代の神像
6体が奉納されています。

お参りしてからひとやすみ。天気はすっかりよくなっています。東吉野村の
宿までゆっくりと戻って15時半。今日はこれで泊まりです。

翌10月31日(火)曇り。

東吉野村から北へ山を越えて榛原(はいばら)に出ます。実際問題として丹生
川上神社中社に普通にお参りに行くのでしたら、榛原からのバスに乗るのが
交通の便は良いようです。

朝5時まだ暗い内に宿を出て、鷲家川に沿って鷲家まで遡り、そこから左手
に折れ、166号線・佐倉峠越えの道です。菟田野町の芳野川流域に出ます。
ここの宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)に着いたのはちょうどお昼頃でした。

御祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)・速秋津比古神(はやあきつひこの
かみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)の三座。四郷川と芳野川の合流点に
建っています。

実は式内社の宇太水分神社の候補は三社あって、この菟田野町の宇太水分神社
(上宮)、榛原町の芳野川と宇陀川の合流点にある宇太水分神社(下宮)、
そして芳野川の上流、上宮から5kmの所、一谷川と堂奥川が芳野川に合流する
点にある中山の惣社水分神社が挙げられています。しかし古記録に最も古く
から現れているのがこの古市場の上宮である為、ここが最有力候補のようです。

この神社の神殿は春日造の三殿構成。またその右手に似た造りの春日神社、そ
の隣りに流造の宗像神社があり、本殿3つが国宝、春日神社・宗像神社は重文
に指定されています。

それぞれにお参りしていきます。

お参りしてから芳野川沿いの道を下っていきます。5.2km歩いて八咫烏神社に
至ります。時刻は15時。

八咫烏こと賀茂建角身命をお祭りする神社。おそらく神武天皇は賀茂建角身
命に導かれてこの道を越えて榛原から(太陽を背にして)大和に入ったので
しょう。式内社です。続日本紀に慶雲2年(705)に創建されたことが記されて
います。

賀茂建角身命をお祭りする京都の賀茂神社から毎年この神社にお使いが送ら
れていたのですが、当地高塚村がわずか9戸の村に衰微してしまい、とても
お使いを歓待できる状態でなくなってしまったため、明治4年賀茂神社にお詫
びしてお使いを中断することになってしまい、そのまま現在に至っています。

お参りして更に川を下ります。もう日が暮れる頃に宇太水分神社下宮に到着。
お参りします。御祭神は天水分神・国水分神・天児屋根命・品陀別命。例祭
は上宮と同じ10月21日で、水分神は大和の高見山に御降臨し、中山の地、古
市場(西殿)の地を経てこの地に留まった所、一晩にして田が隆起して山とな
り、この地を田山と呼ぶようになったと伝えられます。

お参りして榛原町内の宿に入ります。

(なお惣社水分神社の御祭神は速秋津比古神・天水分神・国水分神・天児屋
根命。ここも例祭は10月21日です)




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