←↑→ 仮想旅2000(36) 大和(2)

翌10月23日(月)。今日は雨です。

保養センターを出てまず1.6km。菅原神社にお参りします。ここは全国菅原
神社の御祭神である菅原道真公を出した菅原家の旧所領に建っている神社で
す。道真公生誕の地という碑がたっていますが、それは不確かとのこと。
菅原家は堺の石津太神社ではセットで祭られていましたが野見宿禰の末裔で
土師氏の傍系になります。野見宿禰が土偶を提案したと言われるように土師
氏は陶磁器を作る一族。その傍系の菅原氏は代々学問をもって朝廷に仕えて
いました。

お参りしてから秋篠川のあたりへ戻り、川にそって南下。5.5kmで大和郡山
市街地にある源九郎稲荷に到達します。源九郎とは義経のことで、源義経の
守護をしたというお稲荷さんです。五穀豊穣・商売繁盛の神。

お参りをしてから進路を南西に取り、富雄川を渡って、斑鳩の地に足を踏み
入れます。ここは東に富雄川、西には大和川流域の大阪方面へ抜けられる
谷間、南にはその富雄川や大和川が作った平地が広がり、北は生駒山系で守
られている。まさに四神相応の地。こんな場所に目を付けた聖徳太子はさす
がです。

法起寺・法輪寺・中宮寺・法隆寺と太子ゆかりの寺の前を通って、斑鳩の
龍田神社へ。聖徳太子が法隆寺をどこに建てようかと考えていた時に龍田の
神が「ここにしなさい」と託宣したといわれ、それによりここに龍田の神を
勧請し、法隆寺の守護としたものです。

小泉神社から龍田神社まで4.9kmですが、観光客の多いところ故にどうしても
こちらの歩く速度も落ちます。龍田神社でお参りしたのが14時になっていま
した。

ここから更に西行、龍田川を渡り、そのあと南西に進路を取って、大和川を
明治橋で渡り、行程3km。久度神社に至ります。式内社。京都の北野天満宮
そばの平野神社の御祭神四座のうち久度神のルーツはこことされています。
「くど」という名前の通り竈神とされ、宮中の内膳司にも祭られています。

現在の久度神社の御祭神は久度神のほかに品陀和気命(応神天皇=八幡神)・
天児屋根命(藤原氏の氏神=春日神)・底筒男命(住吉神)となっています。

お参りしてから今度は大和川を再度わたって、行程1.4km。対岸にある龍田
大社の方へ向かいますが、もう夕方になりますので、今日は神社の近くで
宿泊します。

翌10月24日(火)曇り。

まず朝から龍田大社にお参りします。昨日お参りした龍田神社のこちらが
本社です。御祭神は天御柱命(あまのみはしらのみこと)・国御柱命(くにの
みはしらのみこと)とされますが、風神の志那津比古神・志那津比売神のこ
とではないかともいわれています。神殿は二つの本殿が並んだ構造をして
います。また摂社に龍田比古命神社・龍田比売命神社が並んでおり、斑鳩
の龍田神社(こちらに対して新宮ともいう)はこの二神を勧請したもので
はないかとも言われています。

もちろん式内社。明神大。あとで行く広瀬大社と対にして深い崇敬がされて
いました。奈良盆地の中央で川が下のように合流しています。

          |龍  |富         佐/
          |田  |雄        保/
          |川_ |川_______川/
_______/ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄|\飛  |寺 ̄\大
  大和川  \    |  高| \鳥 |川  \和
        |葛  |  田|  \川     \川
        |下     川/\曽
        |川     /葛|\我
              / 城| \川
             /  川|  \

龍田大社はこの最後の葛下川と大和川の合流点、広瀬大社は高田川・飛鳥川
が合流する点にあります。

お参りしてからまた大和川を東に渡り、孝霊天皇陵のある山を回り込んで、
行程2.5km、片岡神社にお参りします。ここは聖徳太子が「聖者」と出会った
場所です。日本書紀推古天皇21年12月の記事で太子が片岡で一人の飢えた者
に出会い、太子は自分の着ていた服を与えます。後で見に行かせると、その
者は死んでいたので墓に葬るのですが、後日その墓が空っぽになっていたと
いいます。

この記事はしばしばキリストの死と、その後キリストが復活して墓が空にな
っていたという話のコピーであるといわれ、そのことからこの時代既にキリ
スト教関係の説話が日本に入ってきていたのではと指摘する人は多く、更に
はこの出会った聖者というのはゴルゴダの丘では死なずにその後日本にやっ
てきたキリストではないかという大胆なことまで言う人もいますが果たして。

とにかくその片岡がこの場所です。神社そばの達磨寺はこの故事にもとづい
て建立されたもので、それは当時この「聖者」とは達磨大師なのではないか
という説が流布していたためです。

お参りしてから東へ。葛下川を渡り、もうひとつ大和川の支流を渡って行程
5km。広瀬大社に到達します。御祭神は和加宇加乃売命(わかうかのめのみ
こと)。これはお稲荷さんこと宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同神
ではないかといわれています。

お参りした所で11時。一休みしてから西名阪道に沿って南西へ。9.6km歩いて
二条駅近く、大坂山口神社に到達します。

「山口」というのはつまり山の入口・麓ということです。全国的に山の麓に
は山口神社が作られています。いよいよ葛木の入口です。

お参りしたあとで、神社の向こう側にそびえる二上山(にじょうざん)の雄岳
山頂にある葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ)にお参りします。
「二上山」という山の名前も神社は元々は「ふたかみ」と読んだようで、
本来は「二神」だったのかも知れません。雄岳・雌岳をお祭りする神社であ
ったはずですが、どこかで混乱して現在の御祭神は豊布都霊神・大国魂神と
いうことになっています。

山を降りると17時。このあと2.7km歩いて当麻温泉で今日は泊まりです。

翌10月25日(水)曇り。

朝から当麻山口神社・当麻都比古神社にお参りします。

そのあと、南東に2.5km歩いて長尾神社へ。御祭神は本来は一座であったよう
ですが、現在は水光姫命・白雲別命になっています。どちらが元からの御祭
神なのかは分かりません。水光姫は蛇神とされ、ここに御降臨なさった時に
この地に深い井戸を堀り、その上に石を置いてふさいだと言われます。この
石は現在も境内にありますが、この石を万一動かすと水が大量にあふれ出て
奈良盆地が水没するといわれています。

お参りしたあと真東に3.2km歩き、石園坐多久虫玉神社へ。この「虫」の字
は「豆」の誤りという説もあります。一般には龍王宮と呼ばれてきており、
高田川の水利に関わる神と考えられます。現在は高田川から300mほど離れて
いますが以前は川はこの神社のすぐそばを流れていました。御祭神は建玉依
比古命・建玉依比売命に、相殿に豊玉比古命・豊玉比売命をお祭りしていま
す。いづれも水神。

お参りしてから南西へ4.8km。新庄中学校のそば、葛城御県神社へ。御祭神
は天剣根命と迩迩芸命。

それから南東へ2.6km、角刺神社へ。ここの御祭神は本当はこちらが最初の
女帝かも知れないと言われる飯豊青命。

5世紀末、清寧天皇の後の天皇がなかなか決まらなかったため、飯豊青皇女
がしばらく政務を取ったという記事が日本書紀にあり『日出処天子』では、
天皇就任を渋る炊屋姫(推古天皇)に聖徳太子が「女性の天皇は飯豊青皇女と
いう前例があります」といって説得するシーンがありました。実際飯豊青姫
が即位したのかしなかったのかについては意見が分かれるようです。(文献
によっては「飯豊天皇」という記述もある)この角刺神社はその飯豊青皇女
が政務を執った宮の場所に建っています。

お参りしてから南へ1.2km。御所市に至ります。時刻は13時。御所駅前から
バスに乗って葛城登山口へ。そこからロープウェイで山頂へ。葛城天神社に
お参りします。御祭神は国常立神。眼下に聖地・葛城が広がります。そこを
歩くのは明日。今日はまたロープウェイとバスで御所駅前まで戻りホテルに
宿泊します。




(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから