←↑→ 仮想旅2000(35) 大和(1)

翌10月22日(日)曇り。

朝から石清水八幡(いわしみずはちまん)にお参りします。徒然草で仁和寺
の僧が「みんなお参りした後山登りしていた。お参りのついでに遊ぶなんて
けしからん」と言っていたという石清水八幡。むろん神社の本体は山の上に
あります。

貞観元年(859)に大安寺の行教律師が大分の宇佐八幡を勧請して王城鎮護の社
にしたもので、関西の八幡神社の中心地。日本三大八幡のひとつです。平安
時代は伊勢の神宮につぐ日本第二の祖廟として深く崇敬されました。鎌倉の
鶴岡八幡はここから勧請されたもの。

朝から石段の登り20分。昨夜早めに寝たとはいえ、なかなかしんどいものが
あります。

お参りしたあと、飛行神社の方に降りていきます。飛行機の研究家・二宮忠
八を祭る神社。二宮忠八はライト兄弟より先に飛行機の開発を進めていたも
のの、充分な実験をする資金を得られず、向こうに先を越されてしまった人
です。当時二宮が軍に研究への協力を申し出ると「じゃ飛んで見せたらお金
を出してやる」と言われたとのこと。その飛ぶためにお金が必要なのですが
。。。。日本の研究者は昔からこういう苦労をしています。

お参りしてから、木津川の南岸に沿って上流に遡ります。

このあたりの水系について簡単におさえておいて下さい。

         京都
      桂川\  /鴨川
         \/
         / _伏見
        /_/ \
       /\宇治川 \平等院
    淀川/八幡\
     /    \木津川
   大阪湾

大阪湾にそそぐ淀川を遡ると、石清水八幡の所で川は3つに分かれます。
北東に桂川、東北東に宇治川、東南東に木津川です。

桂川は京都の南で2つに別れ、西が桂川、東が鴨川となります。桂川の流域
に松尾神社があり、鴨川の流域に下鴨神社・上賀茂神社・貴船神社があります。

宇治川は本来ですと京都の南で広い巨椋池を作った上で平等院方面に向かって
いたのですが、現在は池が埋め立てられてしまったために、普通の川として、
北向きのカーブを描いて流れています。その巨椋池の場所に任天堂の本社が
あって、ここから広がる仮想空間は京都の朱雀の代理をしているはずです。

この宇治川の流れと鴨川の流れの間にはさまるように伏見があります。伏見と
いう場所はつまり、その両方に向かうのに便利な場所。こういった要所に神社
を展開したのは賀茂氏・秦氏ですが、ほんとにしっかりとポイントをおさえて
います。その中心が太秦の木島坐天照御魂神社です。

そして最後の木津川はこのまま奈良盆地の北辺に達します。つまりこの水系に
より、奈良・京都・大阪という関西三都がきれいに結びつけられている訳で、
この水系を制したものがこの付近の支配者であったのでしょう。

さて八幡市から約7km歩いて京田辺市の松井山手駅と大住駅の中間地点まで到達。
ここで月読神社にお参りします。

この「大住」という地名は鹿児島の大隅から出たといわれ、その地域からの
移住者が作った神社。古事記・日本書紀で海幸彦を隼人の祖と書いています
が、海幸彦山幸彦神話に出てくる塩盈珠・塩乾珠は潮の満ち引きに関連し、
故に月読命と関わってくると考えられます。桜島にも月読神社があります。
これは月読神社の伊勢系・出羽系とは別の系統の流れです。

この京田辺市は小さな市の中に式内社が10個もあります。この月読神社の他
朱智神社(天王)・咋岡神社(飯岡or草内)・棚倉孫神社(棚倉)・佐牙神社
(宮津)・酒屋神社(興戸)・甘南備神社(薪)・薪神社(薪)・天神社(松井)・
地祇神社(普賢寺)。そして東大寺二月堂のお水取りに使う竹を送り出す
「竹送り」の町でもあります。

お参りしてから学研都市線に沿って歩いて行き、田辺駅の近く棚倉孫神社に
行きます。行程3.7km。御祭神は天香古山命。養蚕の神社であるといわれ、
田辺の町はこの神社の付近を中心に発展しています。ずいき祭りで有名。
江戸時代には天神様になっていたようです。

次はまた更に線路沿いに進んで約2km。酒屋神社にお参りします。御祭神は
津速魂神。

そして更に2km進んで佐牙神社(さがじんじゃ/さけのじんじゃ)。御祭神
は佐牙彌豆男神(さがみづおのかみ)・佐牙彌豆女神(さがみづめのかみ)。
酒造りの神様であったようです。二つの神殿が並ぶ形をしていますが、伝承
によれば一社がこの二柱の神を祭るもので、もうひとつは若松明神を祭るも
のだとのこと。

今回の京田辺市の神社巡りはこれだけにしておきます。

このあと更に線路に従って進み、精華町に入ります。祝園駅の近くの祝園神
社(ほうそのじんじゃ)まで。行程4.5km。

御祭神は現在、健御雷命・経津主命・天児屋根命とされていますが、これは
この神社が一時期春日神社と呼ばれていたことによるものです。風土記では
大歳神・伊怒比女神・曾富理神とされています。式内社。特殊神事の居籠祭
が知られています。

この祝園という地名は元々「はふりその」であったとも言われ、現在この地
に自衛隊の弾薬支処がありますが、ある意味でふさわしい場所なのかも知れ
ません。

お参りしてからまた更に線路づたいに進みます。この付近は木津川も線路も
ほぼ南北に走っています。約3.7km南下して木津町の相楽神社へ。

ここも式内社。御祭神は足仲彦命・誉田別命・気長足姫命で八幡様と呼ばれ
ていたようです。粥占いをはじめとする一連の正月行事が京都府の無形民俗
文化財に指定されています。

お参りした所で14時。ちょっと一休みしてから、いよいよ奈良盆地に入りま
す。木津川はこの相楽神社の付近で南行から東行に転じます。

私の行程は奈良盆地北部の丘陵地帯を奈良大学のそばで抜けて、約6kmで
神功皇后陵へ。ここは平城京の北側にあたります。

自然の風水にがっちり守られて安定している藤原京や平安京に比べて、平城
京というのは、どうにも守りが弱いのですが、この付近の神功皇后陵や日葉
酢媛陵などの陵墓群は玄武の代わりをしているかのようです。

そしてそれらの陵墓群のそばを抜けて平城京跡へ。古代に思いを馳せて、こ
の平城京の南西にある簡易保険保養センターで泊まりです。




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