←↑→ 仮想旅2000(28) 熊野(1)

翌10月11日(水)曇り。

朝、ホテルから歩いて1kmほどのところの尾鷲神社を訪れます。

御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。大宝年間に播磨国の
広峯社から勧請されたものと伝えられます。現在は須佐之男命ほか21柱が
お祭りされています。ヤーヤ祭りで知られる神社です。

熊野詣では中世には和歌山ルートを使う人が多くなりますが、昔はこの伊勢
から回り込むルートが多く使用されました。ここ尾鷲神社はその入口の所で
根の国の神である須佐之男命がおられるのでしょう。

お参りしたあと尾鷲駅に戻り、9:05の紀勢本線下りに乗って9:51熊野市着。

まずバスで鬼ヶ城の東の端、鬼ヶ城センターまで行き、海岸沿いに1km弁天
神社まで歩いて、この奇景を見ます。まさに熊野の幽玄の世界に入ったこと
を実感させるような風景です。

その後も更に海岸沿いに1kmほど歩きます。獅子巌。獅子の頭のような形を
した岩です。この付近はこういう地形ができやすいんでしょうね。ここから
更に1km歩くと、この熊野市のメイン・イベント「花の窟(はなのいわや)」に
到達します。

ここは日本書紀に書かれている、伊邪那美命(いざなみのみこと)のお墓と
されている場所です。(古事記では出雲と伯耆の国境の比婆山になっている)

高さ70mの巨大な岩。その下に神社がありますが社殿などはありません。古式
の神社の形式ですね。岩そのものを拝めるようになっています。例祭の時には
ここに綱をかけ、幡を吊します。

駅に戻り、紀勢本線を更に下ります。12:49の列車に乗って13:18新宮着。駅
から歩いて約1.5km。熊野速玉大社にお参りします。熊野三山のひとつです。

この新宮市の熊野速玉大社、本宮町の熊野本宮大社、紀伊勝浦町の熊野那智
大社で熊野三山といいます。御祭神は下記の通りです。

  熊野速玉大社 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)
  熊野本宮大社 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)
  熊野那智大社 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)

俗説では、家津美御子大神を素戔嗚尊(すさのおのみこと)、熊野速玉大神を
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、熊野夫須美大神を伊弉冉尊(いざなみのみこと)
とし、また別の説では、家津美御子大神を阿弥陀如来、熊野速玉大神を薬師
如来、熊野夫須美大神を千手観音菩薩、としますが、いづれも必ずしも本質
ではないでしょう。やはり熊野の神は熊野の神という気がします。

元々出雲の熊野大社(御祭神:神祖熊野大神櫛御気野命)を勧請したものと
もいわれていますし、独立のものであるとの説もあります。しかし独立のも
のであっても、賀茂系の一族の勢力範囲のものです。熊野から畿内への道は
八咫烏が神武天皇を導いた道でもあり、八咫烏とは京都下鴨神社の御祭神の
賀茂建角身命であり、それは熊野の王子にも祭られているわけです。そして
出雲の美保に事代主神がおられるように出雲も賀茂の勢力が及んでいます。

さて、この熊野速玉神社は一般に「新宮」と呼ばれていて、この市の名前も
ここから起きているのですが、新宮とは熊野本宮から移したという意味では
なく、元々は神倉山にあった宮(現在・神倉神社)の浜宮を景行天皇の時代
に作ったのが起こりとされているためです。神倉山の祭祀は神代まで遡ると
されます。実際延喜式でもこちらの方が熊野本宮大社より先に載っています。

なお社伝によれば神社は神倉神社の地から一度現在の阿須賀神社の地に移動
し、その後現在の速玉神社の地に移動したとも伝えられています。そこで、
実際の参拝のルートとしては、新宮駅に降りてから約600m離れた阿須賀神社
にお参りし、そこから1.5km歩いて速玉神社へ行き、更に1.5km歩いて神倉神
社へ行くことにしました。

阿須賀神社(あすかじんじゃ)も境内の広い神社です。御祭神は熊野三神。
この神社の名前は恐らくは奈良の「明日香(飛鳥)」ではなく、出雲の須賀と
関わりがあるのでしょう。ただし奈良の明日香が意味する所の「川の岸」と
いう条件も満たしている場所ではありますが。ここは熊野川の河口そばです。

阿須賀神社の裏手の神奈備・蓬莱山は徐福が薬草を採取した所と伝えられて
います。この新宮市は徐福伝説のあるところでもあり、新宮駅のそばに徐福
のお墓もありました。

速玉神社にたどりついたのが15時くらい。阿須賀神社同様、朱塗りの神殿が
美しいです。現在の社殿は火災で焼けたあと、昭和26年に再建されたもの。
連なっている社殿の中の左端(第二殿)にここの主祭神・速玉神が祭られてい
ます。その他構成についてはここで書いていると長くなりますので、あとで
どこかに書きます。第二殿はいわゆる「熊野造り」の社殿です。1,3,4殿は
神明造り、5〜8,9〜12殿は流造りになっています。元々はもちろん第二殿は
第一殿と第三殿の間にあったのですが、最後の火事のあと、こういう並びに
変更されてしまったようです。

お参りした後、神倉神社に回ります。麓に着いたのが16時くらい。ここから
500段の階段を上るのにちょっと時間を食いました。巨大な磐座(いわくら)
であるゴトビキ岩の下に社殿があります。ここが熊野三神の御降臨の地。
このゴトビキ岩はよく見るとあるものの形をしており、梅原猛氏はさきほど
行った花の窟とペアで陰陽になっているのかも知れない、という仮説を提唱
しています。

そのゴトビキ岩の下で日が日没を迎え、急速に暗くなっていく中を気を付け
て階段を下りて新宮市街に戻りました。今日は新宮市内で泊まりです。




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