←↑→ 仮想旅2000(23) 尾張・三河・遠江

翌10月2日(月)。雨。

朝から市内の真清田神社(ますみだじんじゃ)にお参りします。式内社。名神
大社。御祭神については諸説ありますが現在は天火明命ということになって
います。尾張国一宮で7月の一宮七夕祭で有名です。「ますみ」は真清鏡に
由来し、尾張一族と同族の鏡作氏関連の神社ではないかとの説もあります。
またこの付近が水が豊かできれいな水田が作れたので真清田であるとの説も
あります。

ここも大きな神社です。お参りしてから駅のところを通り抜け、国道155号線
に沿って南下します。やがて日光川・領内川を越えて津島市へ。津島神社に
お参りします。行程17.6km。雨なので時間がかかってもう13時です。

牛頭天王をお祭りする神社は西日本では祇園神社、東日本では津島神社と、
きれいに勢力が分かれていますが、その津島神社の中心がここ愛知県津島市
の津島神社です。

牛頭天王が韓国から日本に渡来した時、荒魂はそのまま出雲に至り須佐神社
に収まりましたが和魂は海峡の対馬に留まり、後にこの地に移ったといいま
す。つまり津島は対馬にちなむという訳です。延喜式には載っていませんが
神社の創建はおそらく6〜7世紀頃と思われます。

建徳元年(1370)年に正一位・日本総社の号を受け、織田・豊臣に崇敬され、
江戸時代には尾張徳川から社領を寄進されました。明治になると皇室祈願所
になっています。

京都の祇園祭が内陸部故に鉾が道路を運行するのに対して、津島の天王祭は
近くの天王川公園の池に多くの車楽(だんじり)が浮かべられ華やかさず水面
に映えます。(天王川は元々木曽川の支流でこの付近を流れていたのだが、
現在は上下とも切られてしまってこの天王川公園の池として一部残るだけ。
しばしばこの天王祭の紹介文に「豪華な屋形船が天王川を遡っていく」など
と書いてある文献があるが....実物も地図も見ていないことを告白している
ようなものでしょう)

さて、さすがにこの神社も広い境内を持っています。ここの所大きな神社が
続きますが、次に行く神社はもっと大きいです。ここから更に3時間歩きます。

神社にお参りしたあとその天王川公園に参り、丸池を見てから南東へ道を取
ります。再び日光川を越えて真東へ。小さな川を4本越えたら名古屋市です。
今日は名古屋に泊まります。

翌10月3日(火)。晴れ。

市内の熱田神宮(あつたじんぐう)にお参りします。津島神社からの距離は
21km。

皇室の三種の神器のひとつ草薙剣(くさなぎのつるぎ)をお祭りする超重要
拠点です。この剣は本来は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といい須佐
之男命(すさのおのみこと)が出雲の斐川で八俣大蛇(やまたのおろち)を
退治した時に、その尾から出たものです。日本武尊(やまとたけるのみこと)
が東征に行くときに伊勢で倭姫から託され、焼津の地で草を薙いで火事から
逃れたことから草薙の名前が出ました。

その元々剣を得た須佐之男命(=牛頭天王)をお祭りしている昨日行った
津島神社の近くにこの熱田神宮があるというのも奇縁です。日本武尊は東征
の旅をほぼ終えこの尾張の地に来て宮簀媛の所に剣を置いたまま伊吹山の神
と対決しに行き敗れて、それが元で亡くなります。伊吹山は実は八俣大蛇に
関連した場所でもありそこに草薙剣を持っていかなかったのは運命の巡り合
わせでしょう。日本武尊はお亡くなりになったあと白鳥と化したという伝説
があり、ここ熱田神宮のそばと羽曳野市(古市)にのこる日本武尊の御陵は
白鳥陵と呼ばれています。

さて熱田神宮を出てから名鉄の神宮前駅に行き、名鉄名古屋本線豊橋方面行
きに乗ります。約45分で国府。ここで豊川稲荷行きに乗り換え10分で豊川稲
荷。駅に降り立ったのは11時半頃でした。豊川稲荷にお参りします。

稲荷はほとんどが現在神社として存続しているのですが、大きな所ではここ
豊川稲荷と岡山県の最上稲荷だけがお寺として存続しています。しかし稲荷
を祭るということでは同じ。お参りします。

ここは東海義易禅師が、順徳天皇第3皇子・寒厳義尹禅師の教えと遺志を汲ん
で嘉吉元年(1441)に創建したものでお寺の名前は豊川閣妙厳寺。ご本尊は
千手観音菩薩で、その守護神として豊川叱枳尼真天をお祭りしています。
ダキニ天は稲荷神に習合された仏教の天です。巨大な本殿は20年の歳月を
かけて昭和5年に完成したもの。

お参りしてから約4km北へ道を取ります。豊川市をわずかに出てここは一宮町。
砥鹿神社(とがじんじゃ)にお参りします。ここが三河国一宮です。延喜式で
は国幣小社。

ここは実は里宮で、本来はここから真北に6.4km行った所にある本宮山山頂に
祭られていた神様です。その地は現在この神社の奥宮となっています。大宝
元年に文武天皇病気平癒のための使者・草鹿砥公宣が派遣された時に御神託
があり、本来の神社から真南のこの地に里宮を作って遷座するようにという
ことで、この地に宮が営まれたのが発端とされています(里宮の方が古くて
逆にその真北に奥宮を作ったという説もある)。江戸時代は歴代藩主の崇敬を
受けていました。旧正月の粥占いは古式を残す行事。御祭神は議論はありま
すが現在大己貴命(おおなむぢのみこと,=大国主命)とされています。

お参りを終えて時計を見ると13時半。さてここの最寄り駅は三河一宮駅なの
ですが、ここから遠江一宮駅へと移動します。

14:06の飯田線上りで14:24豊橋着。14:27の東海道本線上りに乗って14:36
新所原。14:40の天竜浜名湖鉄道に乗り16:14遠江一宮。

ここから山道を4km上り、17時過ぎ日没(この日この付近は17:31くらい)の
直前に小国神社到着です。神社を訪れる時刻としてはギリギリでセーフと
いうところか。

ここも大己貴命をお祭りする神社です。しかもこの山も本宮山といいます。
三河と遠江という隣同士の国の一宮が似たような状況にあるのは面白い。
しかもここも実は里宮で、本来の宮の位置はここから4.4kmほぼ磁北方向
の山の上です。奈良時代に御神託によりこの地に里宮を設けたというのも
似ています。その本来の位置には現在奥宮の磐戸神社が建っています。

お参りしている内に完全に日が落ちてしまいました。暗くならない内に
駅まで戻ります。

18:54の掛川行きに乗り19:28着。19:34の静岡行きに乗り20:19着。今日は
ここで泊まりです。




(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから