←↑→ 仮想旅2000(17) 下野・越後

えー、読み方の再確認ですが「上野」は「こうづけのくに」。上州・群馬県。
「下野」は「しもつけのくに」。野州・栃木県。訪れた神社は日光東照宮。

翌9月20日(水)。

日光東照宮は徳川家康公をお祭りする神社で、神社としては異例の華麗な色彩
の陽明門で有名です。そのほか眠り猫、鳴き竜、三猿なども有名です。昨年の
お寺の旅でも訪れていますが、前回は輪王寺が目的地でしたが今回は東照宮が
目的。もっとも回る先はほぼ同じです。

 深沙王堂・四本龍寺・輪王寺・東照宮・二荒山神社・大猷院

徳川家康が亡くなった時、その祭祀について論争が起きました。多くの人が、
普通に当時主流であった吉田神道により祭られるものと考え「○○明神」とい
う形の神号を考えていました。ところがそれに唯一人反対したのが家康の側近
の一人、天海上人です。

天海上人は家康公から「山王一実神道」で祭るよう遺言されたと主張し、この
仏教色の強い神道によれば神号は「○○権現」となります。

しかしそんな遺言は天海以外誰も聞いていませんでした。結局将軍秀忠の前で
吉田神道・明神を主張する家康のもう一人の側近・崇伝上人と山王一実神道・
権現を主張する天海上人とが論争することになりました。両者の意見は全く
噛み合わないまま続きましたが、最後に天海が言った一言が全てを決定させ
ました。

 「明神は不吉にございます。豊国大明神をご覧下さい」

豊臣秀吉は豊国大明神として京都阿弥陀ヶ峰に祭られていましたが、その豊臣
が滅亡した今、確かに明神に問題があると言われれば否定はできませんでした。

そこで家康の神号は東照大権現と決まり、元和3年(1617)2月21日朝廷から正式
に伝達されます。そして更に天海はまだ久能山の墓所も完成しない前にやはり
家康の遺言と称して同年4月8日これを日光に改葬、ここに華麗な日光東照宮が
建築されることになったのです。現在の東照宮の建設は3代将軍家光によるも
ので、総費用は56万両(800億円くらいか?)とされています。

日光の社寺をお参りし終わるともう夕方。東武日光駅に行きます。15:57の電車
に乗り、下今市で乗り換えて会津若松へ。到着は19:34。ここでもう連絡があり
ませんのでここで泊まります。

翌9月21日(木)。晴れ。

会津若松からJR只見線の始発5:57発に乗り、10:12小出着。上越線の連絡が10:59。
新潟着が13:05。越後線に乗り継いでお隣の白山駅着が13:12。ここから約1kmで
白山公園があります。そして公園内に建っているのは白山神社。

『越後新潟白山大権現略縁起』によればこの神社は元々日本海を航行する船の
守護神・海難消滅の神として信仰されていたもので、寛永初年(1624頃)に光誉
浄本という人が勧進して十一面観音像を製作し、当初は仮安置されていたもの
を正保4年(1647)長岡藩主・牧野忠成が社殿を造営して、ここに収めたものとの
ことです。当初は社殿は海に向いていたのが後に逆向きに改築されたとのこと。

元々神仏混合なので江戸時代は春祭りを神式、夏祭りを仏式で実行していたと
のことです。拝殿内の巨大な絵馬は県の有形民俗文化財に指定されています。

またこの白山神社のある白山公園は明治6年(1873)太政官布達により日本で初
めて開設された公園のひとつです。池・築山・花木を配したオランダ風回遊式
庭園です。

お参りをして公園で少し休んでから新潟のフェリーターミナルまで歩きます。
約3.3km。そして18:20のフェリーに乗り20:40両津港着。市内のホテルに泊ま
ります。




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