←↑→ 仮想旅2000(6) 米沢

翌9月5日(火)天気は晴れ。今日は米沢市内の神社に行きます。

駅前から約2.5km。歩いて30分弱。まずは松岬神社です。上杉謙信公・鷹山
公をお祭りする神社。そのあとは城内に入って上杉神社です。

米沢は上杉の城下町です。上杉は越後というイメージが強いと思いますが、
江戸時代になると米沢30万石に移封されています。もちろん元々の上杉家と
いうのは藤原北家の重房に始まる名門で室町時代には関東管領として関東の
全体を仕切っていた訳ですが、内紛で自滅し北条早雲に全域とられてしまい、
上杉憲政が越後の長尾景虎を頼って落ちのびて行き、保護してもらう代償と
して、長尾に上杉の名前を譲る訳です。そこで長尾景虎はその後、上杉謙信
を名乗ります。

この長尾家というのは藤原家とは縁もゆかりもなく、実は古代の帰化人系の
氏族・東漢(やまとのあや)氏の末裔。蘇我一族を支え、天武天皇を助けた
高度の技術を持った武装集団でした。蘇我馬子の意に従わなかった崇峻天皇
の暗殺も手がけましたし、壬申の乱でも大いに活躍しています。(異説では
長尾家は桓武平氏ともいう)

さて、その上杉謙信が上洛の途中で亡くなったあと、上杉の名はやはり長尾
一族の景勝公が継ぐのですが(上杉憲政はこの後継争いの巻き添えで殺され
てしまう)、関ヶ原の戦いに西軍として参加したため、大幅の減封をくらっ
て越後から米沢へ移されてしまった訳です。

さて、上杉鷹山(ようざん)公というのは、この江戸時代の上杉家の中興の祖
です。四代上杉綱憲公の曾孫ですが、綱憲の娘・豊姫が筑前の秋月城主黒田
長治に嫁いで生まれた娘・春姫が日向の高鍋城主秋月種美に嫁いで生まれた
子というわけで、女系でつながっている関係。しかし上杉家に成人男子がい
なかったため、遙か遠くの宮崎から呼ばれて上杉重定公の養子となり家督を
継いだものです。

→米沢上杉家系図

鷹山公は破産寸前だった藩の財政を建て直すため田畑の開墾や養蚕・織物・
製陶などの産業の育成に力を入れ、藩士に対しては自ら先頭にたって、質素
倹約を勧め、武術と学問を奨励して引き締めを図りました。同じころに幕府
の財政改革に取り組んだ松平定信も、上杉鷹山公をたいへん尊敬していたと
いわれます。

松岬神社および、お城の中の上杉神社にこの謙信公・鷹山公が祭られていま
す。それぞれの意味で激動の時代を懸命に生き抜いた人たちに思いを寄せて
城をあとにします。

城を出たら500mほど離れた白子神社へ。これは古い神社です。和銅5年の創建
と伝えられます。この神社に上杉鷹山公が藩政改革を始める時に誓った誓詞
が納められています。




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