←↑→ 仮想旅2000(4) 十和田湖→田沢湖

9月3日(日)早朝休屋(やすみや)のホテルを抜け出し、雨が降る中、十和田
神社に参拝してきました。ここはまさに十和田(とわだ)の自然の中に抱かれ
ているような、緑と岩に囲まれた神社です。御祭神は日本武尊(やまとたけ
るのみこと)、創建は坂上田村麻呂と伝えられています。この神社の先には
例の「鉄の鎖」がありますが雨で危険ですし今まで2度降りたことがあるの
で今回はパス。おみくじを引いて中吉。まぁまぁ。

ホテルに戻って朝食を取り9:20の盛岡行きのバスに乗ります。十和田湖から
はまっすぐ南下して田沢湖に行く手もあるのですが、盛岡経由でも所要時間
はほとんど変わりません。日本の交通というのはだいたいそうなっています。

盛岡に着いたのが11時半すぎ。ここから約2kmの距離にある岩手公園(城址)内
の桜山神社を訪れます。まだ雨はやみません。ここは昨日の朝訪れた八戸の
長者山と同系統の神社で、南部藩の藩祖・南部光行公および信直公・利直公
が祭られています。

南部は甲斐武田や小笠原氏と同族で、八幡太郎・源義家の弟である新羅三郎
源義光を祖とします。この義光の子の義業が佐竹の祖、義晴が武田の祖、
盛義が平賀や大内の祖になるのですが、この武田義晴の子の加々美三郎遠光
の子供の次男・長清が小笠原氏の祖、三男・光行が南部氏の祖となりました。

→清和源氏系図,南部家系図

元々は甲斐国の南の方に領地を持っていたので「南部」と称したのですが、
奥州藤原家を文治5年(1189)に源頼朝が滅ぼした時、戦功があったとして糠部
(ぬかのぶ)地方の地域を与えられ、最初八戸(はちのへ)に住し、のちに三戸
(さんのへ)に城を移しました。

というのが通説なのですが、異説としてこの時は実際は光行は奥州に移動し
ておらず、実際に進出したのは室町時代の南部師行の時代ではないか、との
説もあります。

とにかくも南部信直公はこの初代・光行から20代目の人で(藩主の代数とし
ては26代)、豊臣秀吉の小田原攻めに参加して功績により青森県東部および
岩手県北部の管理を公認されます。そして三戸では常々対立している津軽氏
の領地に近いので、少し離れた地・盛岡に新しい城を築き始めました。

南部利直公はこの信直公の長男で、慶長4年(1599)父の急死に伴いあとをつい
で盛岡城を完成させ、関ヶ原の戦いでは家康の東軍に参加して所領を安泰さ
せます。

さて、私の父の祖先は四国の出身でこの南部の殿様が陸奥国に移る時に付き
従って三戸に移動したと聞いているのですが、その移動の時期がいつのこと
なのか、また南部の殿様が一時期四国にいたのかあるいは私の祖先が四国か
ら甲斐国に移動していたのかは、私も勉強不足でよく分かりません。

さて、盛岡駅に戻ります。

盛岡を14:05発の田沢湖線普通列車に乗り、15:04に田沢湖駅に着きます。
まぁ、普通の人は新幹線に乗った方が楽だと思います(^^;ここからバスに
乗って田沢湖畔まで11分。着いたのは15:40頃でした。

今日はこの田沢湖畔・白浜で泊まりです。今日の歩いた距離は約5km。




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