↑ ← → 仮想旅(41)長崎:海神神社・和多都美神社
written by Lumiere on 96/12/18 13:36
12月17日・火曜日。

名物・呼子の朝市を見て、私は朝9:00の壱岐行きのフェリーに乗り込みました。
今は国道番号が分かれたようですが、以前は呼子までの国道と壱岐での国道の
番号が同じで、この呼子壱岐航路は国道の一部というわけでここは「国道フェ
リー」と呼ばれていました。同様のものは現在愛媛県佐田岬と大分県佐賀関の
間の国道197号線のフェリーにも残っています。

九州には式内社、つまり延喜式(えんぎしき)神名帳という927年に編纂された
全国の主要神社の一覧表に記載された神社が107座ありますが、この内壱岐(い
き)に24座、対馬(つしま)に27座あって、この二つの島で全体の約半分を占
めています。

壱岐と対馬は長崎県に属していますが、普通に使う交通機関を利用する場合、
福岡県の博多港または佐賀県の呼子港からフェリーで行くか、福岡空港から空
路行くかになり、長崎県の本土からは直接行けません。しばしば長崎県の本土
の人々からはお荷物のように思われている二島ですが、どうしてどうして歴史
の古い地区です。

今から行く海神神社・和多都美神社は対馬にありますが、壱岐の方とどちらに
するか随分迷ったものです。もし長崎県の本土の神社ということになると長崎
市の諏訪神社あたりが適当な所でしょう。が長野県の諏訪大社にも行ってます
し、今回は壱岐対馬区域を選択しました。

なお、壱岐の方ですと、島内でもっとも社格の高い住吉神社、壱岐国一宮の天
手長男神社、などもありますが個人的には猿田彦神(さるたひこのかみ)と天
宇受売神(あめのうずめのかみ)を祀った塞神社を選びたいところです。

10:00その壱岐島の印通寺(いんどうじ)港に着きました。ここは呼子との間の
航路しかないので、対馬行きの船が出る芦辺港へ移動します。バスで20分ほど
の所ですが船が出るのは11:50です(^_^;) まぁ都会ではありませんし、のんび
りといきましょう(^_^) 乗船手続きを取った後、旅の記録をまとめながら待ち
ます。11時すぎにはノートパソコンをしまって早めのお昼ご飯を食べました。
壱岐名物のうに飯です。さてやっと船が入ってきました。乗船。


さて今回の目的地・対馬の海神神社・和多都美神社は字が違うだけで、どちら
も「わたづみじんじゃ」と呼びます。二つ行くことにしたのは、実は対馬には
たくさん神社がありすぎるので、対馬国一宮を選ぼうと思ったところ「一宮記」
が『和多都美社』と書きながら『八幡宮なり』と書いている為です(^_^; 海神
神社は以前海神八幡と呼ばばれていた時期がありました。そもそもここが宇佐
八幡よりも古い八幡神の元々の示現の地であるという伝承もあるくらいで、当
時は八幡本宮という別称も持っていました。

わたづみの神といいますと、普通ですと大阪の住吉神社のところで触れたよう
に住吉三神と一緒に生まれた海の三神で安曇一族が信奉した神です。しかし元
々「わたづみ」という言葉は山の神「やまづみ」と対応関係にあるもので一般
的な海の神の名前だったのではないかと思われます。この対馬のわたづみ神社
の場合海神神社は竜宮のお姫様である豊玉姫(とよたまひめ)、和多都美神社
は豊玉姫とその旦那様の彦火火出見命(ひこほほでみのみこと,海幸彦・山幸
彦の物語の山幸彦)が御祭神となっています。この島は山幸彦が海幸彦の釣り
針を探すためにやってきた海の宮であると言われています。

さて対馬に着きます。普通のフェリーだと壱岐から対馬まで2時間かかるので
すが今回私が乗ったのは高速船のヴィーナス。1時間で運んでくれます。12:49
厳原(いずはら)港着。

対馬は現在南北2つの島に分れていて、北の島が上県(かみあがた)郡、南の
島が下県(しもあがた)郡になっています。以前は二つの島は1ヶ所でつなが
っていたのですが、戦前に日本軍が物資輸送のために爆破して海を通してしま
い、現在南北は万関橋で接続されています。船のついた厳原は南の下県郡にあ
りますが目的地は上県郡にありますのでバスで行きます。和多都美神社のある
仁位(にい)まで約1時間。距離にして35kmほどあります。

バスで降りたところから更に30分歩きました。仁位川にそって海岸の方へ行き
そこから一度峠を越えて湾を回り込むように歩いた所に神社は立っていました。
まさに海の宮という感じの美しい神社です。神社は海に向かって建っており、
海の神をお迎えする一の鳥居は海の中。干潮の時だけ地面が出てきます。社殿
そのものは全く田舎の神社という感じの粗末なものですが、回りの景色の美し
さがそれをも神々しいものに思わせてくれます。参拝。

拝殿は春日造り、本殿は神明造り。奥の方には豊玉姫のお墓があります。木々
を揺らす対馬の強い風の息を見ながら私は神社を後にしました。

時計を見たら15時半。今日は本当にスローペースです。道を戻ります。バスの
時間が合わないので携帯電話でタクシーを呼びます。峠をのぼった辺りで車は
やってきました。ここから20km弱。初老の人なつっこいドライバーはけっこう
飛ばしますが道がやはり東名高速とは違いますので結局20分ほどかかりました。
海神神社着。正式には今行った和多都美神社とおなじ「わたづみ」神社なので
すが、実際には地元では「かいじん」神社と呼んでいるそうです。

ここは山の上にあります。四国の金刀比羅宮の階段を思い出させる(^^;約300
段の階段を登り切ると立派な神殿が姿を現しました。瓦葺きの拝殿と銅板葺き
神明造りの本殿。濃い緑の森につつまれた中で参拝。回りを静寂が支配してい
ます。近くには弥生時代の遺跡もあるということですから、2000年くらいの歴
史を持っているのでしょうか。

古事記が伝える豊玉姫の物語はこうです。

火照命(ほでりのみこと,=海幸彦)と火遠理命(ほをりのみこと,=山幸彦)の
兄弟は、兄がいつも海に行って魚を釣り、弟が山へ行って猪や兎などを取って
暮らしていました。ある時弟の火遠理命は兄に一度二人の道具を交換し兄が山
へ行き弟が海へ行こうと言いました。最初はしぶる兄ですが弟の熱意にほださ
れて一度だけの約束で交換を行いました。

しかしお互いなれないこと故、双方とも全く獲物が捕れずに帰って来ました。
その上火遠理命は兄の釣り針を無くしてしまいました。これを兄はなじりあの
釣り針を返せといいます。弟は自分の剣を砕いてたくさんの釣り針を作り兄に
渡しますが兄は納得せずあの釣り針でなければダメだと言います。

困った火遠理命が浜辺で悩んでいると潮の神様が私が助けてやろうといい船に
乗るように言います。火遠理命が船に乗ると潮の神様は船をどこか遠くの島へ
連れていってくれました。そこは海の神様豊玉彦の宮でした。火遠理命はここ
で豊玉彦の娘の豊玉姫と恋をし、3年間ここで暮らしました。しかし3年たっ
たある日ここに来た目的を思い出し、姫に釣り針のことを相談すると、姫は魚
たちを集め、誰か知らないかと聞きます。

すると魚たちは「鯛のやつがここ数年喉に何かひっかかって困っていると言っ
ていますからそれではないでしょうか」と答えます。そこで鯛が呼ばれますと、
問題の釣り針は無事鯛の喉から回収できました。火遠理命はこの釣り針を持っ
て陸に帰ることにしますが、その時姫は潮満玉(しおみつたま)と潮乾玉(し
おふるたま)を渡してくれました。

こうして火遠理命は兄の所に戻ってきて釣り針を返しますが、この先二人の運
勢が大きく変わっていきます。次の年兄が高い所に田を作り弟が低い所に田を
作ると、豊玉姫のお父さんの豊玉彦は水位を管理する神様ですので水を高い所
までは行かないようにして弟の田だけが収穫を得られるようにしました。そこ
で兄が今度は田を交換しようと言い、その次の年に兄が低い所、弟が高い所に
田を作ると今度は豊玉彦は水位を上げて兄の田を水没させてしまい、結局弟だ
けが収穫を得ることができました。

怒った兄が弟の所になぐり込みに来ると火遠理命は潮満玉を出して水を呼び、
兄をおぼれさせました。そして兄が許しを乞うと潮乾玉を出して水を下げ、助
けてやりました。そこで兄は以後弟に従うことを誓いました。

古事記はこの二人の兄弟は天照大神の孫の迩々芸命(ににぎのみこと)と富士
山の神様・木花咲夜姫(このはなさくやひめ)の子供であるとしています。そ
して、この火遠理命は別名天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ・ひこほほで
みのみこと)ともいい、豊玉姫との間に天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(
あまつひこ・ひこなぎさたけ・うがやふきあえずのみこと)を設けます。鵜葺
草葺不合命は豊玉姫の妹の玉依姫(たまよりひめ)に育てられ、その玉依姫と
結婚して神倭伊波禮毘古命(かむやまと・いわれびこのみこと)ほか4人の子
供を設けます。この伊波禮彦が初代の天皇・神武天皇になったとされます。

神社を出てまた長い階段を降りながら、適当なところでまた携帯電話でタクシ
ーを呼びます。先ほどと同じ運転手さんです(^_^) 行き先は再び下県郡の対
馬空港に行きます。約40分の行程。着いたのは18時すぎ。B737に乗り込みます。



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