↑ ← → 仮想旅(40)佐賀:田島神社
written by Lumiere on 96/12/18 01:46
さていよいよ旅は九州に入ります。常識的には福岡からなのですが、今回私は
福岡から出発していますので、こういう時は地元の神社を最後のトリにとって
おきます。佐賀からです。

目的地は加部島(かぶしま)の田島神社。辺鄙な場所にありますし小さな神社で
すが、佐賀県で最古の神社であり、れっきとした式内社です。御祭神は多紀理
姫尊(たぎりひめのみこと)・市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)・多岐
津姫尊(たきつひめのみこと)の宗像三女神に大山祇命(おおやまずみのみこ
と)・稚武王命(わかたけおうのみこと)を合祀しています。

もっとも普通の人なら佐賀の神社を選ぶといったら、まずは日本三大稲荷の一
つ祐徳稲荷(ゆうとくいなり)か、佐賀市内に鎮座する佐嘉神社、或いは肥前
一宮の千栗八幡宮を選ぶことでしょう。今回ここを選んだのはここが松浦佐用
姫(まつら・さよひめ)の伝説の地だからです。

バスで下関駅に戻り、下関を13:12の普通電車で関門海峡を通り、13:26に小倉
に着きます。ここで新幹線に乗り換え、13:59のこだま373号で博多へ。博多に
14:20に着いて14:36の唐津行き地下鉄に乗り込みます。ここは地下鉄からJR
筑肥線へ直通運転で、この便は筑前前原から快速になります。

唐津駅到着15:49。ここからはバスの旅です。駅から歩いて5分ほどの大手口バ
スセンターから16:01の呼子行きに乗り、16:48に呼子到着。ここで更にローカ
ルなバスにのりつぎ、妙に曲がった呼子大橋を渡り加部島へ。(このカーブは
橋が海峡の弁天様の真上を通過するのを避ける為)神社についたのは17時20頃。
空が夕焼けで真っ赤になっています。神社にこんな時間に訪れるというのは普
通とんでもないですね(^_^; しかしここは夕暮れ時のこの神社を見たかったの
で明日に回さずに無理してこの時間にやってきました。思えば今朝は宮島で日
出を見たのでした。

時は宣化天皇2年(537)、当時大和朝廷は朝鮮半島に任那(みまな)という属国
を持っていましたが、そこが新羅(しらぎ)に攻められるという事件がありま
した。大和朝廷は援軍を派遣すべく時の大連(おおむらじ)大伴金村の二人の
息子・磐(いわ)と挟手彦(さでひこ)に兵を組織させます。二人は九州へ行
き、磐が現地で万一の場合の防衛に当たり、狭手彦が兵を率いて朝鮮に渡るこ
とにするのですが、この時挟手彦は唐津の篠原という長者の娘・佐用姫(さよ
ひめ)と恋仲になってしまいます。

二人は熱く愛しあいますがやがて狭手彦の出兵の時期が来ました。「あなたは
もう行ってしまうのね。もう私たちは二度と会えないのね」と佐用姫は泣きま
す。相手は大和朝廷の中核の大豪族の息子、自分は地方の娘。覚悟していたと
はいえ佐用姫は自分を押さえることができません。挟手彦は優しく言います。
「何を言ってるんだ。戦いはすぐに終わる。終わったらまた会えるじゃないか。
そして一緒に大和へ行こう。僕の妻になってくれ」しかし佐用姫はなかなか納
得せず、狭手彦と一緒に軍船に乗って朝鮮まで行くなどと言い出して狭手彦を
困らせます。

いよいよ出発という日。狭手彦は佐用姫に自分が戻ってくるまで自分の代わり
にするようにと言って鏡と領巾(ひれ)を渡しました。船団が出ていきます。
佐用姫は港で見送ろうとしていましたが居ても立ってもいられません。船団を
追いかけて岸を走ります。唐津から東松浦半島の浜辺を走り走り、とうとう
半島の先の呼子まで来ます。ここで姫は海女の小舟を借りて対岸の加部島まで
行きますが、船はどんどん去って行きます。姫はその島の一番高い丘に登り
船の行く先を眺めていました。姫はもうそこを動きませんでした。そして、そ
のまま石となってしまったのです。

この石を望夫石と言い、現在この田島神社の境内の佐用姫神社に祭られていま
す。なおこの話には幾つか異説もありますので、それも掲載しておきましょう。

 ・鏡山の名前の由来伝説
  佐用姫は唐津港で船を見送った後、唐津の鏡山にのぼったとする説。そこ
  で姫は石になってしまったが、姫が狭手彦から送られた鏡を持っていた為
  そこからこの山の名前を鏡山と言うようになった(肥前国風土記の説)
  なお、鏡山の名前の由来について「神社啓蒙」は神功皇后がここに鏡を奉
  納して天神地祇を祭った為という説を挙げている。なお神功皇后に関わり
  のあると思われる「鏡山」という名前の山が大分県にもある。

 ・三輪山説話型の伝説
  狭手彦が去った後、佐用姫のもとに毎晩訪れて来る男があった。その男は
  狭手彦に生き写しであった。不思議に思った姫が男の服に麻糸の端を結び
  つけておいた。姫が翌朝男が帰った後麻糸をたどっていくと山の頂上の沼
  のところに大蛇がいて、糸はそこで終わっていた。数日後姫が戻らない為
  村人が山を探していた所、沼の中に誰かよく分からない人間の死体がある
  のに気づいた。人々は姫が大蛇に殺されたのであろうといい、そこに祠を
  建てた。(しかしこの話は矛盾している^^;姫が戻ってこなかったのなら
  どうして大蛇がいたと分かったのであろうか? ^^;)これが鏡山神社の始ま
  りである。

いづれも唐津の鏡山の話になっています。鏡山神社の御祭神は鏡神ですが、こ
れは佐用姫のことである、と肥前国風土記は語っています。なお狭手彦は3年後
戦争が終わって朝鮮から戻って来てから、佐用姫の話を聞いて哀れんで、祠を
建て祀ったとも言われます。(日本書紀の記述では3年後まで戦争はしていな
い。又狭手彦の父の大伴金村はこの戦役の後で天皇が欽明に変わった後、朝鮮
政策のまずさの責任を取らされ役職を罷免されている)

さて、神社は佐用姫が船を見送る為に上ったくらいですから丘の上です。神社
へのぼる階段は2つありますが、まずは手前の階段をのぼりましょう。こちら
は本当は裏参道かも知れません。

社務所があって狛犬に守られた神社があります。この狛犬が非常に古い形式の
よう。かなり昔に作られたものでしょう。お参りをします。佐用姫神社の方に
も行き望夫石を見てみました。大きいものですね。佐用姫の心に祈って境内を
後にします。帰りは神社の奥の方にある急勾配の階段を下りてみました。降り
た所に古い鳥居があります。目の前は海。この鳥居は源頼光が寄進したもので
す。

バスで呼子市内に戻ります。今日は呼子で泊です。ここは海の幸が素晴らしい。
おいしいお魚の料理を満喫しました。




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