↑ ← → 仮想旅(33)岡山:吉備津神社・吉備津彦神社
written by Lumiere on 96/12/16 05:56
出雲市駅についたら13時でした。13:16のスーパーやくも16号にのって岡山へ
出ます。16:01に岡山に着き、16:11の吉備線普通列車にのって備前一宮で下車。
今回はここで自転車を借ります。

岡山県での目的地は吉備津神社と吉備津彦神社です。似た名前の神社でよく混
同されるようですし、御祭神も同じなので一緒に御参りすることにしましょう。

最初に行くのは吉備津彦神社で、備前国一宮。御祭神は大吉備津彦命。この後
行く吉備津神社は備中国一宮で御祭神は吉備津彦命。ここで大吉備津彦命は古
事記での名称、吉備津彦命は日本書紀での名称で、同一人物です。崇神天皇の
時代の四道将軍の一人で、西の方に大和朝廷の勢力範囲を広げ、この地に本拠
を置いて開拓を進めたといいます。吉備津神社と吉備津彦神社はほんの1kmしか
距離が離れていないのですが、昔の備前と備中の国境だった吉備中山をはさん
で東側に備前一宮、西側に備中一宮とふたつの神社が鎮座しているのです。こ
のほか広島県に備後一宮の吉備津神社もあり、この三つの神社はもともとワン
セットだったのかも知れません。備前の一宮にだけ「彦」が付いているのは近
くにある二つの神社を区別するためでしょうか。なおこの二つの神社は現在は
いづれも岡山市内になってしまっています。またこの備前一宮と備中一宮の間
にある中山の頂上に吉備津彦の墓(前方後円墳)があります。

拝殿は昭和初期に火災で焼けた後建てた新しいもの。お参りしてから横に回る
とその奥に同時期に建てた幣殿と、階段を上がった向こうにたたずむ本殿が見
えます。この本殿は元禄年間のもの。檜皮葦流造りの情緒あるものです。

この吉備津彦神社には「朝日の宮」という別名もあります。これは夏至の日に
は朝日が随神門の東正面から上がるからです。そしてその日の夕日は拝殿・幣
殿・本殿のライン上に沈みます。美しい設計にしたものです。

吉備津彦神社をあとにして自転車をこぐこと10分ほど。吉備津神社に着きます。
急斜面の階段を上ると北随神門。きれいな門です。抜けてさらにのぼって行っ
た所に拝殿があります。お参りして後ろへ回ると、これがまた美しい本殿。二
つの入母屋造りの間につなぎの棟が入って、曲線美は翼を広げた鳥のようです。

この本殿から裏手の方へは360mもの回廊が南随神門へと続いています。この回
廊の途中に沢山の神社がありますが、その中の一つに御釜殿があり、鳴釜神事
が行われます。これは正月にここの釜で火を炊き、釜の鳴る音で吉凶を占うと
いうものです。この神事の由来についてはこのような伝説があります。
(雨月物語-吉備津の釜)

昔この地に温羅(うら)という鬼がいて城を構えて傍若無人な振る舞いをして
いたため吉備津彦が軍を率いてこれを討った。しかし温羅の首は討たれても大
声を発してやまず、地中に埋めてもなお吼え続けた。そして13年たったある夜
温羅は吉備津彦の夢の中に現れた。そして「自分の首の埋まっている所の上に
釜を置き、わが妻の阿曾郷の阿曾姫に、私に供える食事を炊かせてくれ。そう
したら、幸いある時は釜を豊かに鳴らし、災いある時は釜を荒々しく鳴らして
あなたたちに吉凶を告げてやる」と告げた。吉備津彦がそれを守ると以後首は
おとなしくなった。

この温羅は本殿外陣に「丑寅御前(うしとらみさき)」としても祭られており、
この丑寅御前については、梁塵秘抄に「一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内宮、隼
人崎、北や南の神客人、丑寅御前は恐ろしや」とも書かれています。ここで、
丑寅は方角でいうと北東=鬼門で鬼を表しますが、「みさき」とは眷属という
意味であるともされます。つまり丑寅御前は鬼の手下どもを祭ったもので、鬼
つまり温羅自身は実は本殿の御祭神ではないか、との説もあります。そしてこ
の神社の長い回廊はクレタ島のミノタウロスを封じ込めたクノッソスの迷宮の
ように温羅を封じ込めた迷宮ではないかという人もあります。そういえばこの
神社の本殿は丑寅の方角を向いているのです。

一般にこういう鬼退治・妖怪のは、中央権力に倒された地方の
元の豪族の話を表しています。つまり温羅は吉備津彦が来る前にこの辺り一帯
を支配していた豪族であったとも考えられ、その意味では鳴釜神事の由来談と
いうのは、その一族と吉備津彦との妥協点が成立したことを意味しているのか
も知れません。この付近一帯には御前神社というのが多数あり、その御祭神は
御前大明神とされていますが、この御前大明神というのは温羅かも知れません。
しかし、この温羅にしても朝鮮からやってきた人物だという説もあり、この地
の複雑な歴史をうかがわせます。

なお、この鬼退治の話と吉備−吉備団子という連想から、ここは桃太郎伝説の
発祥の地とも言われています。ということは桃太郎のモデルは吉備津彦だとい
うことでしょうか。吉備津彦は吉備団子(食料-神饌)で犬猿雉(申酉戌-西方三
神)を味方に付けて温羅を倒したのでしょうか。

十訓抄には備中に来て神前で演奏をしなかった楽人が祟られて髪が白くなって
しまい、慌てて引き返して秘中の曲を披露したところ髪がもとに戻った、とい
う話もあります。ここの神様はきちんと祭ると喜ぶが粗末に扱うと怒る神様の
ようです。きちんと御挨拶してから私は神社を後にしました。

神社の階段を下り、レンタサイクルで来たのでまた備前一宮駅まで戻ります。
自転車を返して駅へ。18:12の吉備線で岡山に戻り、18:32のマリンライナー51
号で瀬戸大橋を超えます。高松到着が19:27。高徳線の20:01のうずしお23号に
乗り継いで20:51に板野着。普通列車に乗り換えて22:04に鳴門に着きます。
今日はここで泊まります。

雨月物語の「吉備津の釜」は温羅伝説とは無関係です。その話については こちらを参照して下さい。


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