仮想旅(32)島根:出雲大社

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written by Lumiere on 96/12/15 02:46 倉吉駅を8:39の出雲3号に乗り込みました。10:41に出雲市着。ここからバスで 出雲大社まで行きます。所要時間は約25分。

さて、出雲の一宮を称している神社は二つあります。一つが素戔嗚尊が櫛稲田 姫とともに住んだ場所に建っているという熊野大社。もうひとつがこの出雲大 社です。現在「神宮」や「大社」を称する神社は全国に多数ありますが、以前 は「神宮」は伊勢の神宮、「大社」は出雲大社だけに許された称号でした。日の 上る国の伊勢の神宮、日の沈む国の出雲大社は日本の神道の中核をなすもので、 明治の国家神道の流れの中で伊勢の神宮中心に事が運ぶことに反発した出雲大社 は出雲大社教という教派神道を設立して、独自色を出し、葬儀を一手に握って いたお寺に対して結婚式は神社で、という流行を作り出すことに成功しました。

このように活躍めざましい出雲大社ですが、実は室町時代頃までは熊野大社が 名実ともに出雲国一宮であったのが、出雲国の中心部が西部に移動してきたの に伴い、主客が逆転し、いつの間にか出雲大社の方が一宮とみなされるように なってしまったのです。そのことを象徴する神事が10月15日の亀太夫神事です。

これは出雲大社が餅をついて熊野神社に行き、火燧臼と火燧杵をかして下さい、 と言う神事です。ところが熊野神社の亀太夫はこの餅に色々と難癖を付けてな かなか貸してくれません。これは出雲大社に対する熊野神社の優位性を強調す る神事とされています。しかし結局は亀太夫は餅を受け取り臼と杵を貸してく れますので熊野も出雲の現実の力を認めてあげているということなのでしょう。

この出雲大社は古事記の記述によれば大国主神(おおくにぬしのかみ)が高天 原の国譲りの要求をのむ代わりに建築させた巨大な神社で、現在でも高さ24m という大きなものですが、以前は高さ97mという超巨大なものであったとも言 われます。そして巨大であるがために何度も倒壊していたとされ、最古の建築 の記録としては出雲風土記に残る白鳳期のものもあります。また平安期ころは 48mほどの高さになっていたらしく、当時の記録に基づき昭和63年にある建築 会社が設計図を作ってみたら長さ40mの柱9本に支えられた総延長109mの階段を 持つ大建築の姿が現れました。現在の高さになったのは江戸時代のことです。

昔の姿          □□←社 階段    ..‥¨||
      ↓  ..‥¨|| ||
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大きな鳥居が見えたところでバスを降ります。樹齢1000年の檜で作ったという 大鳥居です。ここから参道へ。参道の途中の祓社で汚れを祓います。そして、 参道の突き当たりの銅の鳥居を抜けて境内へ。拝殿でご挨拶した後、後ろへ回 って八足門・楼門を通って本殿の前へ。ところがここは神殿の側面にあたって いる(^^; 右へ回り込んで左を向いて参拝。これは大社造りと呼ばれる独特の 形式です。

本殿の後方には素戔嗚尊を祭る素鵞社があります。入れないようになっていま したが、幽玄の世界のような趣がありました。境内を右の方に抜けてから道を 戻り、銅の鳥居の前を横切ってバス発着所へ行きます。出雲市駅へ戻ります。


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