↑ ← → 仮想旅(11)栃木:日光東照宮
written by Lumiere on 96/12/10 22:14
神田明神の移転や、浅草の浅草寺・芝の増上寺などの移転などに深く関わって
いるのではないかと言われるのが江戸時代初期の密教僧・天海上人です。その
天海上人と関わりの深いもうひとつの場所へ移動します。

お茶の水から秋葉原に戻り、山手線で上野に向かいます。ここから東北新幹線
に乗り替えます。12:14のやまびこ129号にのり車内で駅弁を食べて12:59宇都宮
下車。今日12/05の第4の目的地は日光東照宮です。宇都宮から13:32発の日光
線にのりますが、今日は工事中ということで鹿沼から先は代行バスになりまし
た。日光到着は14:15すぎ。ここから市内のバスに乗り換えて、「日光を見ずし
て結構ということなかれ」の東照宮とご対面です。

とても日本の神社には見えない、という第一印象を持った陽明門。何か墨絵の
たくさん並んでいる所に行って絵を見ていたら、突然1枚、屏風に油絵具で大
胆に描かれた作品があった....そんな感じです。江戸時代は庶民はここまでし
か入れなかったそうですが、いまは自由に入れます。そして陽明門よりは小振
りですが、やはり華麗な色彩の唐門を通って中へ。江戸時代は一般武士はここ
までだったそうです。

参拝のあと、鳴き龍、見猿言猿聞猿、眠り猫、といった可愛い?動物たちとも
ご挨拶して私は東照宮を後にしました。

ここ東照宮は徳川初代将軍家康が祀ってあります。この東照宮を建てたのは二
代将軍秀忠で、当時の社殿も豪華なものだったと言われますが、三代将軍家光
は当時で56万両といいますから、今でいえば800億円くらいでしょうか、それ
だけの巨費を投じて17年がかりの大造営を行いました。今私たちが見ている
のはその建物です。

家康は最初静岡市の久能山東照宮に葬られたのですが、この日光の地に家康を
祀ることを主張したのが天海上人で、その天海上人もここ日光に祀られている
のですが、ここは入ることができないようです。なお、久能山東照宮と日光東
照宮を直線で結んでみるとその上に富士山があります。

なお、この日光にもとからあったのは今回行きませんでしたが日光二荒山神社
です。そもそも日光の語源は「二荒(ふたら)」を「にっこう」と音読みした
ことから始まっています。この「ふたら」は補陀落浄土(ふだらくじょうど)
のことであると言われています。

もともと日光は修験道の道場として奈良時代に勝道上人が開いたもので平安時
代天台宗座主の円仁が訪れたのを機会に関東における天台宗の大拠点となり、
鎌倉時代には皇族が日光山座主をつとめるという格式の高い寺となりました。
しかし豊臣の全国統一の時、日光の僧兵がこれに敵対したため急速におちぶれ
ていたのを家康が天海に命じて整備させた所です。

家康を日光に埋葬せよというのは家康の遺言であった、というのが天海の主張
で、それによって家康はこの地に天海が興した山王一実神道によって祀られた
のですが、そういう経緯からするとほんとうに遺言だったかどうかは別として
十分本望だったのではないかとも思えます。

さて、帰りの電車はもう工事が終わっていたので日光駅から出ました。15:20
発の宇都宮行きに乗り、宇都宮から16:11のやまびこ138号で大宮へ。16:54の
とき413号に乗り換えて高崎へ。高崎到着17:25。今日はここで泊まります。
早めの夕食をとってホテルに入り、お風呂にゆっくりとつかって手足をマッサ
ージ。持参のハーブの入浴剤がいい香りです。

お風呂からあがったら暖房をやや強めに入れたまま裸でベッドの中に。これが
気持ちいい! おやすみなさい。



← →

(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから