神宮
内宮:天照坐皇大御神(天照大御神)
外宮:豊受大御神

通称「伊勢神宮」といっていますが、正式には単に「神宮」です。「伊勢神宮」というのは「伊勢にまします神宮」と説明しているだけのことであって、「伊勢」は神宮を修飾する言葉ではありません。たくさん神宮がある中で伊勢にある神宮という意味ではなく、神宮といえば、ここしか無いのです。それほどこの神社の地位は絶対的なものです。

ですから、神様に関わる人は基本的にここを「神宮」としか呼びません。

神宮は1996年に遷座2000年を迎えました。むろんこの「2000年」というのは日本の当時当時の暦で計算したもので、西暦で考えると何年たっているのかはその内どこかで論じたいと思います。にしてもどっちみち非常に古い歴史を持つ神社です。

神宮は主として、天照大御神(天照坐皇大御神)をお祭りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神をお祭りする豊受大神宮(外宮)に分かれます。

また、別宮と呼ばれる特に重要な宮が、内宮に10社、外宮に4社あります。また摂社が内宮に27社、外宮に16社、末社が内宮に16社、外宮に8社、そして所管社が内宮に14社、外宮に4社あります。これら合計101社の総体が神宮です。

神宮の内宮にお祭りされる天照大神(あまてらすおおみかみ)に関する祭祀の記録が初めて正史に出てくるのは「初国知天皇」崇神天皇の時代です。この時、宮中に天照大神・大物主神の二神を祭ろうとしたのですがどちらも強力な神様ですので、一緒に祭るのはよくないということで娘の豊鍬入姫に委託して大和の笠縫邑に祭ったとなっています。

これが次の垂仁天皇の御代になりますと祭祀は垂仁天皇と「銀金」でおなじみ日葉酢媛(ひばすひめ)の間の娘、倭姫に引き継がれます。これから倭姫と天照大神との流浪の旅が始まります。

まず最初倭姫は大神を祭るのにふさわしい場所を探して宇陀の篠幡に行きました。しかしそこでは落ち着かず近江の国に行き、そこにしばらく居てから今度は美濃の国まで行き、さらにそこからも去って伊勢の国に入りました。この時天照大神のお告げがあって「伊勢の国はしきりに波が打ち寄せる国で辺境ではあるが美しい国である。私はこの国にいたい」とのことでした。そこで倭姫はこの地に祠を建て、五十鈴川のそばに斎宮を立てました。

さて、この倭姫の巡行ですが日本書紀ではほんの数ヶ月のこのように書いてあるのですが、神宮の古文献では巡行は豊鍬入姫の時代から始まっておりその歩き回って祭祀に適した場所を探す作業そのものを倭姫にバトンタッチしたとされているとのことです。またこの倭姫が回った場所には現在「元伊勢」と呼ばれる神社が建っているケースもあります。丹波の籠神社・皇大神社、尾張の酒見神社・浜神明社・斎神社などです。

伊勢の地は古代畿内政権の中核地から見て東側の太陽が昇る方角にあり、また伊勢そのものが東側が海で日の出を奇麗に見ることができる場所であり、太陽神を祭るのには非常にいい場所です。この地における太陽神信仰はもしかしたら畿内政権よりも古いのではないかという考察をする人もいます。

またある人は実際に神宮が国家レベルで祭祀されるようになったのは天武天皇以降ではないかという説をとなえる人もいます。これは式年遷宮が天武天皇の時に始まっていること、倭姫の巡行の地域と天武天皇が壬申の乱でたどった彼の基礎勢力と思われる地域とが重なっていることから出てきた説のようです。

さて一方の外宮(豊受大神宮)についてですが、この外宮は雄略天皇の時代に創始されたもので、天皇の夢枕に天照大神が現れて、大御饌(つまり食事)を安らかに食べられないので食物の神である豊受大神を伊勢に迎えて欲しいとのお言葉があり、丹波の国から勧請してきたものです。この外宮からは後に伊勢神道が生まれます。

さきほど少しふれた式年遷宮は20年ごとに宮を移して建て替えるものです。一番最近は1993年でした。これはこれだけの宮を建てるだけの技術を後世に伝える為と一般には言われていますが、御堂龍児「地理風水」には風水の立場から、「20年」ごとに建て替えることに重大な意味があることが述べられています。要するにこれが気の巡り方の変化の周期と一致しているのですが、詳しくはそちらを参照してください。20年というのは占星術のMutation Cycle の周期でもあります。これを自分でも式占をするなど占いに詳しかった天武天皇が始めたというのは面白いところです。

なお、神宮は天皇が直接お祭りする宮であることから一般の人は直接社殿を拝むことはできないことになってます。ただし遷宮の時にまだ神様が移ってくる前の社殿は拝見することができます(お白石持ち行事)。また一般の人からの捧げ物も以前は拒否していたのですが、鎌倉時代からは熱心な民衆の声に応えて、認めるようになりました。

また神宮には昔は天皇の皇女が斎王として仕えていましたが、後醍醐天皇の時代で途切れています。この件については既に天照大神の項でも触れましたので省略します。



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