諏訪神社 長野県諏訪市の諏訪大社
建御名方神・八坂刀売神 長崎市の諏訪神社

天孫降臨建御雷之男神に追われて諏訪湖までやってきた建御名方神(たけみなかたのかみ)はその地に留まり、八坂刀売神(やさかとめのかみ)と結婚して、この地の神となります。建御雷之男神との約束でこの地を離れる訳にはいかないので、10月に全国の神様が出雲に集まる時も、この神だけは出雲に行かず、諏訪に居残っているそうです。

諏訪神社は諏訪湖を中心に非常に広い範囲を占めており、神域は40ヘクタールにも及びます。多数の神社で構成されていますが、その中核は諏訪湖南岸の上社と北岸の下社で、更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれていて、本宮と前宮、春宮と秋宮の間はそれぞれ1kmほど離れています。

各々の御祭神は、本宮が建御名方神、前宮が八坂刀売神、下社はどちらも両神を祭り、春宮に2〜7月、秋宮に8〜1月の間鎮座します。2月1日と8月1日はその遷座のお祭がありますが、特に8月1日のお祭は「お舟祭」として知られています。

また冬になると諏訪湖の表面に氷が張って「御神渡り」が見られます。これは氷の表面に亀裂が入るものですが、この亀裂は毎年必ず上社の近くから下社の近くまでの間に出来、建御名方神が八坂刀売神に会いに行くのではないか、と古来言われています。

ところで、建御名方神は出雲から追われてこの地に来たのですが、その時諏訪には既に別の神様が住んでいました。これをモレヤの神と言います。建御名方神はこの神と力比べをして負かし、この地の権利を得ました。なお、建御名方神のお母さん(八坂刀売神のお母さんとの説も)は越の国の沼河姫で、ひょっとすると建御名方神は海岸近くからこの山の中へ移住したのかも知れません。

さて、このモレヤの神ですが、下社の近くの御射山(みさやま,現在は霧ヶ峰という)を御神体としており、これは現在で8月にきちんとお祭りをしており、これを「諏訪祭り」と呼んでいます。

なお、このモレヤ神の祭祀は建御名方神が来る以前は、毎年「一年神主」が選ばれてこの神を祭った後、任期が終了したところでその神主は殺された、という伝説もあります。西洋の「金枝篇」のような話です。

さて、諏訪神社について述べる時に絶対に書き漏らすことのできない祭りがあります。それは6年に1度、寅年と申年に行なわれる「御柱祭(おんばしらまつり)」です。これは天下の奇祭と言う人もあり、また非常に荒々しい祭りで、死者が出ることも珍しくありません。

この祭りは基本的には下社と上社のそれぞれの境内の四隅に4本の柱を立てる(計16本)ものですが、上社は八ヶ岳から、下社はそのモレヤ神の神域御射山(霧ヶ峰)から切り出します。この作業は 見立て→山出し→里曳き と続くのですが、途中木を崖から落したり、木によじ登ったりと、荒々しい作業が行なわれます。この祭りで死ぬことは名誉であるとまで言われるそうです。

なお、諏訪神社にはもうひとつ奇祭があります。「御頭祭」です。これは猪や鹿の頭を75個、板にのせて神供するというものです。

ところで、この建御名方神の名前ですが、「みなかた」というのは、宗像三女神でもそうですが、「水方」或は「水潟」を表わすとされます。このことは、建御名方神の母が「沼河姫」という、水に深い関連のある神であったことを考えても、建御名方神が元々水神であったことを示唆しており、建御名方神には竜のイメージがふさわしく思えます。

諏訪神社では元旦の祭事として、土を掘り起こして冬眠中の蛙を取り出し、それをその年最初のお供え物として、諏訪の神に供えるということをしています。これも諏訪の神に蛇の性質を見ていることになりそうです。

また、全国13000社ある諏訪神社の中でも諏訪大社に次いで有名な長崎市の諏訪神社のお祭りで、蛇踊りは不可欠のものになっています。



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