水天宮

↑
福岡県久留米市の水天宮
天御中主神・安徳天皇・
建礼門院・二位の尼
東京都日本橋の水天宮

まずは系図を見て頂きましょう。               平時信 |
          +−−−−+−−−−+ |         |
 平清盛=====平時子(二位の尼) 平滋子====後白河天皇 |                |
     平徳子(建礼門院)========高倉天皇 |
                安徳天皇 平清盛の死後、平家一門は源氏に追われて西方へ逃げ、一ノ谷の戦い、屋島の戦いで破れ、最後に壇ノ浦の戦いでも負けて、滅亡します。この時、幼い安徳天皇やその祖母である二位の尼なども海中に沈んで行かれました。建礼門院も海に沈むところだったのですが、源氏の兵に助けられ、余生を京都の大原で送ります。

しかし久留米の水天宮の縁起によれば、実際には天皇は壇ノ浦の海には沈まず、二位の尼とともに、久留米まで逃れて来たといいます。そしてやがて、この地で崩御なさるのですが、そのとき、建礼門院の侍女であった伊勢という者が夢の中でここに水天宮を祀るようお告げを受け、それに従って宮を建立して神楽を奏上。これが水天宮の起源であるとのことです。

水天宮は基本的には水神であり、水に関することとして、漁業・海上交通・水商売、そして安産の守り神となっています。毎月1日・5日・15日が縁日。久留米の水天宮の例祭は5月5〜7日です。また安産祈願の人たちは戌の日に参拝し、特に戌年・戌月・戌日が重なった時を大戌といって珍重します。最近では平成6年10月15日が大戌でした。


↑


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから