神道の系譜

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「神道」はその名の通り「神の道」であり、普段の生活の中でも神を感じ、神に感謝して祀れば、それは一つの神道であるといえます。その意味では人の数だけ神道があってもよい訳ですが、色々な人が神道の分類を試みていますのでここでもそれをやってみたいと思います。  +−祭り型神道+−宮中神道・・・宮中の祭祀 |      +−神社神道・・・通常の神社の祭祀 |      +−民間神道・・・道祖神・田の神・山の神・竈神など |      +−陰陽道系・・・土御門神道・いざなぎ流など |
 +−教え型神道+−学派神道+−復古神道・・・平田篤胤ら |     +−理論神道・・・伊勢神道・唯一神道など |     +−神仏習合系・・両部神道・山王一実神道など |     +−神儒一致系・・儒家神道・理学神道など |
        +−教派神道+−山岳信仰系・・実行教・御嶽教など +−霊示系・・・・黒住教・金光教・天理教など +−伝統神道系・・出雲大社教・神道修成派など +−新思想系・・・生長の家・真光など 歴史的に見ますと、最初に氏神(うじがみ)や産土神(うぶすながみ)を祀る原始的な神道や、北方系のシャーマニズムのような神道があったと思われます。それが大和政権が日本全体に支配権を確立させて行く中で、神々の同一視や婚姻などが行なわれて行き、ひとつの天皇神道にまとめられて行ったものと思われます。

ここに仏教の思想が入って来ますと、神仏習合の考えが生まれ、仏を中心に据えた両部神道・山王神道などが生まれて行きます。これに対して伝統的神道側も伊勢神道・唯一神道などによって理論武装して仏教に対抗し、巻き返しを図ります。しかし江戸時代に入る頃には今度は儒学の影響で儒教色の濃い神道が生まれます。

そんな中で現在色々な要素が入ってしまった神道の元の姿を取り戻そうという動き・復古神道の考え方も江戸時代も後半頃から出てきて、これが幕末・明治になると数々の教派神道を産み出します。一方では神道を政治的に利用しようとする勢力が国家神道を作り、それによる思想統制を図りますが太平洋戦争で挫折。そして戦後は宗教の自由化に伴い雨後の筍のように沢山の新宗教が生まれ、分離統合しながら新世紀への展望を模索しています。

そんな中で幾つかのエポック的な神道を以下見ていくことにしましょう。

物部神道
古代の神道の最後の生き残りで、その命脈は587年の蘇我一族による物部一族制圧によって絶たれた。内容的には謎の部分が多いが、思想は旧事本紀から伺い知られる。十種神宝(とくさのかんだから)や、「ふるべ、ゆらゆらとふるべ」の呪文などが知られる。基本的に魂を奮い起こすことにより精神的エネルギーを高め活力を生み出す神道ではなかったと推定される。

中臣神道
物部神道が滅び、仏教が国家祭祀の中心になった時代にやがて政治的に台頭した中臣家(藤原家)が巻き返して提示した神道で、その後の日本の神道の中心になるもの。その根本は大祓詞(おおはらえのことば)に見られるような「けがれとはらい」の思想である。

山王神道
天台宗の総本山・比叡山で平安時代に生まれた神道。初期の山王神道と天海以降の山王一実神道に分類できる。山王とは霊山を守護する神霊のことで、山王権現は比叡山の地主神で日吉神社祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)を言う。三諦即一思想があり、「山」の字の縦の3本は空仮中を表わし、横の一画は即一と解釈して一心三観・一念三千の象徴であるとする。「王」の字も同じ。ここに空とは「仏法は一切空」、仮とは「仏法は仮にある」、中とは「仏法は空でも仮でもなく不二である」である。天海は更に山王権現は大日如来であり、また天照大神であるとした。

両部神道
真言宗から生まれた神道。鎌倉時代頃に成立。伊勢の神宮の内宮を胎蔵界大日如来−日天子、外宮を金剛界大日如来−月天子に配する(二宮一光)ほか、いざなぎ・いざなみ、諏訪神社の上社・下社、なども両部になぞらえた。又古事記の天神七代は過去七仏に等しく、北斗七星にも展開されるなどとし、多くの神々を仏教により解釈していったが明治の神仏分離により壊滅的な打撃を受ける。

伊勢神道
伊勢の神宮の外宮の神官度会(わたらい)氏が創始。外宮の神である豊受大神は実は天御中主神(あめのみなかぬし)=国常立神であるとし、天御中主神は海之水中主であって、海に在る神であるとする。そして海は造化の霊体であり、半日間地上を照らした太陽や月も海に沈んで休息をとるのだとします。そして、人間は神から生まれたのであるから人間の本性は神であって、その神性を損なうようなことはしてはならないとして、正直・至誠・祈祷の実践を求める。教典として「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」「伊勢二所皇太神御鎮座伝記」「豊受皇太神御鎮座本紀」「造伊勢二所太神宮宝基本紀」「倭姫命世記」の神道五部書が製作された。鎌倉時代末期に起こった。

吉田神道
吉田兼倶(1435-1511)が唱える。正式には元本宗源神道。唯一神道・卜部神道ともいう。神本仏迹・神主仏従。神とは観念的なものではなく、天地に先立って天地を定め、陰陽を越えて陰陽をなす。始めも無ければ終わりもなく、天にあっては神、万物にあっては霊、人倫にあっては心である。神は天地の根源であり神はすなわち心であるとする。儒教・仏教・道教・陰陽道の要素が合流し、伊勢神道の思想も入っている。大元宮の八卦に基づく八角形の神殿は特徴的。

法華神道
室町時代に法華宗の信徒の間に起きたもの。神の中に法性神・有覚神・邪横神の3つがある。法華経守護三十番神といって各地の三十柱の神が一日交替で人々を守護するという考えを出した。(実際にどういう神が選定されたかについては別途up)

儒家神道
神儒一致論にもとづき儒家が江戸時代にとなえたもの。林羅山の神儒一致論(理当心地神道)、雨森芳州の理論(神主儒従。神道は仁・明・武で、これが三種の神器である)、貝原益軒の理論(儒主神従)など。

吉川神道
吉川惟足(1616-1694)が唱える。吉田神道と儒教と武士道の調和をはかった。神道を祭祀を中心とした行法神道と理論的な理学神道に分類し、理学神道こそが真の神道であるとした。保科正之などに共鳴を受けて一大勢力となり、一族は幕府寺社奉行の神道方に任命される。

垂加(しでます)神道
山崎闇斎(1618-1682)が創設。垂加は闇斎が吉川惟足から贈られた号である。神道は天照大神の道と猿田彦神の教えで宇宙の根源は国常立神であるとして、天道即人道の理を説く。神の働きを造化・気化・身化・心化に分類、土金の伝(つつしみの徳)、竜雷の伝(怠惰のいましめ)、天人唯一の伝(天と人は一致)などを主張した。この門下から土御門神道の安倍泰福・橘家神道の玉木正英などが出て、復古神道・国学・水戸学などの源流となった。

復古神道
賀茂真淵(1697-1769)の万葉集による古語の研究、本居宣長(1730-1801)の古事記の研究、などに刺激を受けた平田篤胤(1776-1843)が提唱したもの。仏教や儒学などの要素を排除したいにしえの神の道を復興することを目的とする。このいにしえの道の理解には大和心を固めるべきで、神の功徳を認識し、日本が世界の中心であることを知らねばならないとした。結果、中国の医学は少彦名神が作ったものが輸出されたものであり、易の始祖伏義は大国主神であり、帝釈天も皇産霊神であるなどとして、日本は神国であるとした。

国家神道
明治維新後の政府によって推進された祭政一致的神道。復古神道や水戸学などの思想をベースに、神仏分離令によって神社から仏教色を排し、天皇家の先祖である天照大神を祀る伊勢の神宮を全国の神社の最高位に位置付け、一村一社制により既存の神社を強引に統廃合するとともに、祭神も天皇家に関わりのある神に書き変えた。神官は公務員とし、祭祀のみを執り行い布教活動をすることは禁止、一方神道は宗教ではなく民俗伝統の根幹であるとして、政府が直接管理するものとした。

教派神道については別項に分けます。
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