天狗

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天狗
天狗 てんぐ

河童が川に出るものであるのに対して、山に出るものは天狗(てんぐ)と相場が決っています。河童がかなり動物的であるのに対して、天狗はかなり人間的であり彦一頓知話などで天狗は彦一と対等にわたりあっています。また牛若丸に剣術を教えたのも天狗であるとされ、この天狗には鞍馬山僧正坊とい う名前がついています。

この僧正坊の他、日本全国に八天狗と呼ばれる大天狗がいるとされています。

愛宕山太郎坊
京都の愛宕山に住み、いざなぎの神を祀る愛宕神社を守護する。3000年前に仏の命によりこの任についたとされる。
鞍馬山僧正坊
牛若丸と鞍馬天狗で有名な天狗ですが、和気清麻呂の子孫で真如上人の弟壱演僧正ではないかとされる。但しこの僧正坊は鞍馬山の主ではなく、主は鞍馬山魔王尊と呼ばれる天狗でその本地は毘沙門天であるとのこと。
比良山次郎坊
本来は比叡山の天狗であったが比叡山が法力の強い僧たちに占領されてしまったため、比良山に移ったもの。しかし元々は愛宕山太郎坊と並び称される大天狗である。
飯綱三郎
長野県飯綱山に住む天狗。いわゆる「飯綱の法」の行者たちがこの天狗の本拠地で修行を積んだ。
大山伯耆坊
元々は伯耆大山(ほうきだいせん)の天狗であったが、相模大山の相模坊が四国の白峯に行ってしまった為、その後任として移って来た。富士講の人たちに信仰された。
彦山豊前坊
九州の英彦山(ひこさん)に住む天狗。天津日子忍骨命が天下ったもので役行者がこの山で修行した時それを祝福して出現したとされる。
大峯前鬼坊
役行者に従って夫婦の後鬼とともに山を歩き回り、その身の回りの警護その他を務めた。
白峯相模坊
崇徳上皇が讃岐の国で憤死した時、その怨みをなぐさめる為に相模大山から白峯に移って来た天狗。

平田篤胤は天狗とは現世で知識だけを追い求め精神的な修行を怠った者が変化したものであると論じています。また鎌倉時代に書かれた源平盛衰記にも同趣旨のことが書かれており、天狗は通常の六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)には属さない天狗道に堕ちたものであるとしています。天狗は知者であり仏法にすぐれているので地獄/餓鬼/阿修羅/畜生道には落ちない。しかし無道心だから天道にも上れない。結果行き場がなくなって天狗道に落ちて輪廻から見放されてしまうのである、と。

荒俣宏は、天狗が牛若丸に剣術を教えたというのは、天狗にとって人々に知識を伝授することだけが天狗道から抜け出す方法だからではないかと考察しています。つまり膨大な知識ゆえに天狗になってしまったので、それを誰かに渡してしまうことでやっと他の道に移動できるのだと。それ故天狗は色々と物事を教えてくれるのです。

天狗は修験道と深い関わりを持っており、天狗のイメージの上には山伏たちのイメージが重なります。天狗が山伏の姿をした話もあれば、山伏が死後天狗になったという話もあります。山中で厳しい行を行ない、火渡り・刃渡りなどをする山伏たちの姿は民衆から畏敬の念をこめて見られていました。そして彼らはまた、里に病の者があれば祈祷をしたり薬を作ったりしてくれる存在であり、神に近い存在であったとも言えます。結果、山中に出没する天狗というものにその山伏たちの姿がだぶった行ったのは自然なことであったでしょう。

なお「天狗」は元々は字の通り「天のイヌ」で、狐(キツネ)の霊「地狐」と対応する者です。日本書紀の舒明天皇の9年に大きな星が東から西に流れ、雷に似た音がしたのを僧旻が「あれは流星ではなく天狗だ」と言ったという記録が残っており、これが天狗の初見であるとされます。この舒明天皇9年という時期は大化の改新前夜で旱魃があり日食がありと、色々な異変が起きている時で、そういった怪異のひとつとして天狗が登場しています。

また天狗は須佐之男神の猛気が飛び出して生まれた姫神が元祖でこの姫神の息子の天魔雄命が日本全国の天狗の長であるという説もあります。やはり天狗のような強い法力を持つものを束ねることができるのは須佐之男のような荒ぶる神でなければ無理だという発想に行ったものでしょうか。

また、天狗は猿田彦大神であるという説も根強く、しばしば山や丘の上に猿田彦大神が祭られているところに、天狗の面がかかっています。



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