この神の名前は古事記によるものですが、日本書紀ではこの時生まれたのは順に底津少童命・底筒男命・中津少童命・中筒男命・表津少童命・表筒男命となっています。読み方は同じで少童も「わたつみ」と読み、「表」も「うえ」と読むようです。
住吉神社は、大阪住吉区の住吉大社、山口県下関市の住吉神社(通称一宮)、福岡市博多区の住吉神社を三大住吉としています。そのほか、だいたい大和から瀬戸内海を通って大陸へ向かうルートにそって住吉の神や宗像の神をお祭りする神社が多数並んでいます。
これについては詳しいことは上田正昭「宗像と住吉の神」(筑摩書房)を見て頂ければよいと思うのですが、決して事故率が低いとは言えなかった昔の航海の無事を祈る為、途中途中の海の神に祈りを捧げていったのでしょう。安曇一族や宗像一族も大和朝廷に依頼されてかれらを支援して先導したり護衛したりしていたのではないでしょうか。
なお、住吉の神と綿津見の神はひょっとしたら同神ではないかと考える人も多いようです。