淡島様

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淡島様
淡島明神 あわしまみょうじん

和歌山の加太神社, 各地の淡島社,淡島堂


淡島様(淡島明神)は、女性特有の病気に霊験があらたかであるとして、民間で篤く信仰されています。

その中心は和歌山市の加太神社で、江戸時代に淡島願人とよばれる半僧半民の人たちが全国を回って、祠を背負い、鈴を振りながら淡島明神の由来を語り、お祓いなどをして回ったことから信仰が広まりました。

現在この淡島様をお祭りしている神社は全国に多数ありますが、淡島神社・粟島神社・淡路神社などになっています。お寺系では淡路堂です。

加太神社以外では、小さな鳥居のある、熊本の粟島神社も有名です。

淡島様の本体については、3つの説があるようです。

ひとつは少彦名神(すくなひこなのかみ)であるという説。これは少彦名神が薬の知識に豊富で、病の人に薬を調合して与えていたという伝承、それから国造りを終えてから粟島というところから常世の国に渡っていったという話(古事記・伯耆国風土記)から来ています。現在、加太神社をはじめ、多くの淡島神社がこの説を採っています。

もうひとつの有力な説は、住吉神の妃神であるという説です。吉田東伍の「大日本地名辞書」に掲載されている説で「淡島は賀太の潜女の氏神で住吉の妃神である。この神が住吉から流れて来たのがおひなさまの始まりとされる」ということです。実際、民間では淡島様は女神様故に女性を守ってくださるのだという信仰は根強いようです。

最後の説は、伊邪那岐神・伊邪那美神の2番目の子であるという説です。古事記によれば、二神の最初の子が蛭子(えびす様)で、2番目が淡島と書かれており、この淡島が淡島明神のことなのではないかという説もあります。

淡島信仰を近世広めたのは「淡島願人」と呼ばれる流浪の聖職者です。その人たちは「淡島堂」を背中にしょって!全国各地を巡り、女性の幸福を祈り、また安産・子安あるいは女性の病気平癒祈願などもしていたのです。針供養を広めたのも淡島願人であると言われます。



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