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バスでまた茂原まで戻り、更に外房線で安房小湊まで行きます。降りて時計
を見ると11時10分すぎ。ここで興津駅行きのバスに乗り、誕生寺入口で降り
ます。前回日蓮上人の話が出てきましたが、今日2ヶ所目の目的地は日蓮上
人の生誕の地に建つ、誕生寺です。

日蓮上人はこの小湊の地で漁師の子に生まれ、近くの清澄寺で修行、得度し
ました。その後鎌倉の禅寺や比叡山、京都や奈良の諸寺を回りながら、思想
を整理していきます。そして建長5年(1253)4月28日早朝。日の出とともに、
旭が森で法華経の題目を唱えて、立教を宣言しました。

日蓮曰く。禅は経典を無視して坐禅ばかりしている。天魔の教えだ。律は慈
善事業と称して結果的に貧しい者から金を巻き上げている。あれは国賊であ
る。密教は天変地異を防ぐといって祈祷をしているが効果が上がっていない。
亡国の祈祷をしているのではないか。念仏はこの国の教主たる釈迦を無視し
て他国西方浄土の教主阿弥陀に救いを求める愚かな行為で無間地獄ものだ。

この戦闘的な日蓮の姿勢は当然他の宗派と激しく対立し、まさに武力闘争も
行われました。しかし彼が「立正安国論」で予言した通りにモンゴルが攻め
てくると、幕府も日蓮を流刑先から呼び戻して助言を求めたりします。その
後は身延山(現久遠寺)に籠もって修行と弟子たちの育成に務め、最後は池上
(現本門寺)の地で亡くなります。

しかしその後日蓮上人の教えは多くの弟子たちによって受け継がれ、派閥が
多数に分裂しながらも確実に日本の国土に根付いています。この誕生寺は
興津城主の弟であった日家が日蓮の在命中に許可をもらって建立したもので
日蓮を開山として自らは2世となりました。

その後津波などによって、実際の誕生の地は海に沈んでしまい、寺も大きな
被害を受けますが、江戸時代に水戸徳川家の支援で少し海岸から離れた現在
地に再建されました。




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