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さて次は東海道に行き、また近畿方面まで戻ることにします。

11:30のジェットフォイルに乗って新潟港へ。1時間で到着し、新潟駅まで移
動します。13:23の上越新幹線あさひ318号に乗り15:06大宮着。ここで15:14
の東北新幹線なすの241号に乗り換えて15:31小山着。まだ早いですが今日は
ここで泊まります。

翌3月26日(金)。朝から水戸線で移動します。5:26小山発の友部行きに乗り
5:57岩瀬着。ここから更にバスで移動します。ついた所は通称・雨引き観音
楽法寺です。時刻は7時過ぎでした。

板東33ヶ所の24番札所。安産や子育ての守り神として古くから関東一円の参
拝者を集めていました。また4月のマダラ鬼神祭は有名。京都広隆寺の鬼神
祭とともに日本二大鬼神祭とされています。

文明4年(1472)この寺が戦火を受けて堂宇が焼き尽くされ、僧たちが呆然と
立ちつくしていた時、突如として馬に乗ったマダラ鬼神が現れ、鬼たちを指
揮して木や石を運ばせ、7日と7夜でこの寺を再建してしまったといいます。
その時、鬼たちは最後に焚き火をしてその回りを囲み、太鼓を叩きながら踊
りを踊ったとのことです。マダラ鬼神祭はその様子を再現するものです。馬
に乗ったマダラ神が寺の145段の階段を登り、鬼太鼓に鬼踊り、稚児行列に
護摩修行といったものが繰り広げられる大がかりなお祭りです。

さて、このお寺の開基は用明天皇の御代(586-588)中国からの渡来層・法輪
独守居士によるものです。居士は勅許を得て観音像を奉安する場所を求めて
全国を行脚。筑波山の麓まで至ったとき、「紫峰連環して八葉の蓮華が開い
たような」聖地を発見。その山の上までのぼります。その時のどが渇いて、
どこかに水はないかと思ったところ、観音像の袖から滴がしたたり、その落
ちたところから泉が湧き出しました。この観音を延命観音といったので、こ
の泉もそれにちなんで延命水と名付けたとのことです。

その後、推古天皇(在位593-628)が病気になった時この寺の観音様に祈願して
効験があったため勅願寺とされ、聖武天皇・光明皇后も崇敬。皇后が納めた
法華経が現在も残されています。また弘仁13年(822)日照りが続いて干魃に
襲われた時、この寺の本尊に降雨祈願すると7日7夜雨が降りました。その
時から、山号を天彦山から現在の雨引山と改めています。その後も鎌倉幕府
以降歴代の幕府から支援を受け、多くの参拝者・崇敬者を集めています。

なお、文明4年に堂宇が焼け落ちた時は、史実では真壁城主の真壁久幹が再建
に尽力しています。

この寺の現在の御本尊は秘仏・木造の聖観世音菩薩立像および前立観音像。
聖観世音菩薩立像は一木彫彩色。一面八臂の珍しい形式です。弘仁期の作と
されていますので、降雨祈願の時に作られたものかも知れません。前立観音
は寄木造。こちらも一面八臂ですが、室町時代の作。いづれも重文です。

参道をのぼりまず黒門を通ります。これは真壁城の城門だったものを真壁氏
が柿岡に移った時に寄進したもの。ここから長い石段を上り、仁王門を通っ
て、更に石段を登ると本堂と多宝塔があります。この多宝塔は聖武天皇が寄
進した三重塔を徳川家定が多宝塔に改造したものです。本堂でお参りし、多
宝塔前の休憩所で一休み。ここはいい眺めです。




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