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全国66ヶ国お寺巡り99(36)摂津
法隆寺を出たらもうお昼でした。バスでJRの法隆寺駅まで行きます。所要
時間は7分。ここから関西本線で一気に天王寺駅まで行きます。そこから歩
いて約10分。今日2ヶ所目は四天王寺です。ここも聖徳太子縁の寺。
かつて仏教の是非をめぐって物部氏と蘇我氏が争った時、16歳の聖徳太子も
蘇我氏の一員としてその陣中にありました。しかし相手は何と言っても皇室
の軍事部門を一手に引き受けてきた物部。蘇我は劣勢に立たされます。この
時、太子はいそぎ四天王の像を彫り「私たちを勝たせてくれたら必ず四天王
のために寺塔を建ててお祀りします」といい、その像を奉じて先陣に立ちま
した。皇子が先頭に立って戦っている。そのことで士気を高められた蘇我勢
はなんとか戦況を逆転させ、勝利を収めることができました。
この戦争の結果、物部氏は壊滅。彼らが支持していた穴穂部皇子も殺され、
蘇我氏が推した泊瀬部皇子が即位。崇峻天皇となります。聖徳太子は約束を
守って、この摂津に四天王を祭る寺を建立しました。(実際に完成したのは
6年後)これが現在の四天王寺です。現存する日本最古の寺であり、特に平
安期には太子信仰の中心的存在として多くの参拝者を集めました。
四天王の名前及び配置は次のようになっています。
守護 金光明経 大方等大集経 同 壇上の
方位 四天王品 諸天王護持品 眷属 配置
東 持国天 提頭頼咤天王・他化自在天王 乾闥婆衆 東南
南 増長天 毘楼勒叉天王・化楽天王 鳩槃荼衆 南西
西 広目天 毘楼博叉天王・須夜魔天王 龍衆 西北
北 多聞天 毘沙門天王 ・兜率陀天王 夜叉衆 北東
通常四天王は金光明経の名前で呼ばれますが、多聞天だけは単独で祀られる
時に限り、毘沙門天の名前が使われます。他の三天は単独で祀られることは
ありません。
四天王寺は中門・塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ「四天王寺様式」で建
てられています。落雷・台風・兵火などで何度も焼け、現在の建物の多くは
戦後に再建されたものですが、元三大師堂や六時堂など元和年間のものもあ
り、西門の石鳥居は日本最古の鳥居とされます。この西門はかつては西方浄
土の東門につながっているとされ、たいへんな信仰を集めました。
中に入ってまず五重塔には正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像がお祀りさ
れています。その次の金堂は本尊が一応救世観音で、その四方に四天王を配
する形を取っています。毎日朝11時に舎利出回向が行われ、信者が大勢やっ
てきます。また、基壇下には青竜池という清水がわいています。なおこの寺
は弘法大師信仰も深く、毎日21日の弘法大師の縁日には大師会があり境内で
はガラクタや古着・野菜などの市が開かれます。
さて、ここをお参りした後、いったん寺域を出て道をわたり、やや離れた所
にある愛染堂にも回ります。ここはかつて聖徳太子が勝鬘経を講じた所とさ
れます。勝鬘経は珍しく女性が主人公のお経で、聖徳太子が講義したとされ
るお経はこの勝鬘経と、唯摩経、法華経の3つです。
ここまで参拝して時計を見るともう3時近くでした。