※「セキュリティ保護のため...」というメッセージが出る方・日本語が入力できない方へ


全国66ヶ国お寺巡り99(35)大和
さて紀州の高野山で南海道も踏破し、これから畿内に入ります。まずは大和 の国へ行きます。 昨日の道を逆にたどり、バスとケーブルカーと南海電鉄で橋本まで戻ります。 それからJRに乗り換え、和歌山線と関西本線をのりついでいったん奈良ま で行きます。今日はここで泊まりです。 翌3月20日(土)。奈良駅前を8:39発のバスに乗り法隆寺へ。所要時間1時間。 ここは聖徳太子に最も縁の深いお寺です。(このバスは唐招提寺・薬師寺の そばを通っていきます) 聖徳太子は推古天皇13年(605)10月に斑鳩に移りました。十七条憲法を発表 し、遣隋使を派遣し、と太子が最も活動している時期の引っ越しなのですが ここは当時の都である飛鳥の地から馬で1時間半もかかる辺鄙な土地。なぜ わざわざこんな不便な所に移ったのかについては色々な憶測が飛び交ってい ますが、その諸説の中の一つに、ここが太子の4人の妃の内最も愛した妃で ある膳菩岐岐美(かしわでのほききみ)の義父である膳臣傾子(かしわでの おみ・かたぶこ)の勢力地であったため、というのもあります。 膳臣は安倍家と同様宮中の食事を司る家柄です。斑鳩にはこの膳家や太子の 側近・調子麻呂の香りが強く漂っています。 この地には聖徳太子ゆかりのお寺が、法隆寺・発起寺・法輪寺・中宮寺と4 つあります。法起寺は太子ゆかりの岡本宮跡に建っています。太子が法華経 を講義した場所で、太子の遺言により長男の山背大兄皇子が寺にしました。 日本最大最古の三重塔があります。 中宮寺は太子の母・穴穂部間人皇女の御所を、皇女亡き後、寺にしたもの。 ここには著名な如意輪観音半跏思惟像があります。またこの寺に保存されて いる天寿国曼陀羅は、太子の妃の中で最も若かった橘大郎女(たちばなの おおいらつめ,推古天皇の孫)が太子亡き後その浄土往生を願って作らせた 刺繍(国宝)。元は法隆寺にあったものですが後にここへ移されました。日本 最古の曼陀羅です。 また法輪寺は太子が病気になった時に山背大兄皇子が太子の病気平癒を願っ て建てたもの。本尊薬師如来は法隆寺の玉虫厨子で有名な止利(とり)仏師の 手によるもの。また三重塔は法起寺三重塔・法隆寺五重塔と並ぶ斑鳩三名塔 とされます。止利はこの時代の仏教文化の理論的支えとなった司馬家の出身。 恐らくは聖徳太子の側近の一人だったのでしょう。冠位十二階の大仁の地位 を与えられています。 さて、問題の法隆寺前に降り立ちました。まず南大門をくぐります。この門 の下には例の鯛石があります。ここを通りしばらく行くと西院中門。真ん中 に柱がある変わった構造で、梅原猛「隠された十字架」では怨霊封じの作り 方であると言われましたが、その後中国ではよくある形式であることが指摘 されて怨霊封じ説は劣勢になりました。 中門の奥左手が五重塔、右手が金堂。その奥に講堂。五重塔の内部には仏教 に関する4つの塑像のパノラマがあります。東面は唯摩経に描かれる唯摩と 文殊菩薩の問答。北面は釈迦の涅槃(死)。西面は釈迦の葬儀の様子。南面は 弥勒菩薩の降臨の様子。 金堂は中央に釈迦三尊像、左に阿弥陀如来、右に薬師如来があり、その両脇 には毘沙門天と吉祥天、その後ろに更に吉祥天と地蔵菩薩、四隅には四天王 (持国天・増長天・広目天・多聞天)があります。ここにかつては橘夫人念持 仏(阿弥陀三尊)、百済観音、天平聖観音、玉虫厨子などがありましたが、 現在は大宝蔵院(昨年完成)に移されています。また四方の壁には大仏画が 描かれていましたが、昭和の大修理の際の昭和24年、電気関係のトラブルで 失火、焼失しました。不幸中の幸いともいうべきことは昭和10年に大修理に 先立ち当時最新鋭の技術でカラー撮影していたこと(なんとカラーフィルム 発明の前!)で、一応現在模写がここに納められています。 さて、私も金堂のあとはその大宝蔵院の方へ行きます。中心に百済観音専用 の観音堂があり、左右に西宝蔵と東宝蔵があります。百済観音は奈良国立博 物館に置かれていた時代もありますが、再びこの地に戻って来ました。私も 昨年一度福岡に回って来られた時にお会いしています。美しい仏様です。こ の宝蔵に納められているものはたいへんたくさんあるのですが、ここではと ても書ききれません。またいづれかの機会に。 さて、ここまで拝観しましたら、今度は西院を後にして、東院の方に向かい ます。法隆寺で最も有名なのは五重塔と夢殿な訳ですが、五重塔が今行った 西院に、夢殿は東院にあります。元々西院は聖徳太子の時代に建てられた斑 鳩寺(若草伽藍)があった所で、東院は斑鳩宮の跡に行信僧都が太子を偲んで 建てた上宮王院が元になっています。東院まではけっこうな距離です。 さて、この東院の中心は八角形のフォルムが美しい夢殿。後に吉田兼倶が吉 田神道を興し、大元宮を建てた時にその形を易の八卦になぞらえて八角形に したのも、元々はこの夢殿のイメージがあったのかも知れません。この夢殿 の本尊が救世観音です。長い間布で厚く巻かれ秘仏とされていましたが明治 時代にフェノロサが強引にこれを開かせ、その妖しい微笑みが世の人の目に 触れることとなりました。現在では毎年4月11日〜5月5日、10月22日〜11月3 日に拝見することができます。今日は見ることができませんので、外側から お参りさせていただきます。 この夢殿の北側には絵殿・舎利殿があります。東三間が舎利殿、西三間が絵 殿です。この絵殿の中にかつて夢違観音が納められていました。現在は先程 の大宝蔵院に移されており、実はさきほどお会いしてきました。悪い夢を良 い夢に代えてくれるというありがたい観音様です。またこの絵殿の壁面には 聖徳太子の一生が描かれています。ここまでお参りして法隆寺を後にします。