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  乗り込んだフェリーの行き先は今度は対馬です。さすがに疲れたので船の中
  では完全に爆睡していました。対馬の厳原港についたのは23時すぎ。予約し
  ていた旅館に転がり込んで、更に熟睡します。

  3月7日。この日は少し遅めに活動開始しました。今朝の目的地は港からすぐ
  近くです。歩いて15分くらいでしょうか。

  対馬を13世紀から明治維新まで管理していた宗氏の菩提寺であり、その宗氏
  の墓所は広大で、日本三大墓地の一つに数えられています。長い階段を登っ
  て、そこを訪れた瞬間、萩の東光寺にある毛利家の墓所を連想しましたが、
  実はそこもこの日本三大墓地のひとつです。後一つは金沢の前田家の墓地だ
  そうです。

  ここは歴史上名高い国書偽造事件の舞台でもあります。豊臣秀吉が朝鮮に出
  兵したため、朝鮮と日本の仲は非常に険悪なものになっていましたが、徳川
  の世になると、双方関係修復の動きが出てきます。

  ここで朝鮮が国王名義の親書を送って来たのに対し、日本は当然支配者であ
  る江戸幕府の将軍の名前で返書を送ります。しかしそこに重大な問題があり
  ました。それは将軍というのは形式的にはあくまで天皇の家来にすぎないと
  いうことでした。

  これは会社同士の付き合いでいうと、一方が社長が出てきているのに、一方
  は部長しか出てきていないということになる訳で、大変失礼なことです。し
  かし形式上の日本の長である天皇が返書を書くというのは、実際の支配者が
  天皇ではなく将軍である以上、あってはならないことでした。しかしそのま
  までは朝鮮が怒るのは自明。悩んで悩みぬいた親書伝達役の対馬藩は、何と
  将軍からの返書の署名に「日本国王」と書き足し、その改竄した親書を朝鮮
  に渡したのです。この改竄は信じがたいことに30年近く続きましたが、やが
  て対馬藩の内紛により明るみに出てしまいます。

  こんなとんでもないことがばれてしまった場合、普通なら対馬藩はお取り潰
  し。藩主は切腹です。しかし、対馬藩が間を取り持っているからこそ朝鮮と
  日本の仲がうまく行っているのは確かで、幕府としては対馬藩を絶対に潰す
  訳には行きませんでした。結果、処分は非常に軽いものになりました。

  そんなことを思い出しながら、お参りをし、お寺をあとにします。これで
  西海道の諸国は全て踏破しました。




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