7番目の天

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英語でこの上もなく幸福な気分であることを in seventh heaven という。
これは西洋の古代の世界観で宇宙を7つの階層からなるものと考え、その最も 上の階層にいるということを表現したものである。これと似た日本語の表現 が「有頂天」だ。これは仏教の世界観の中で、最上階にあることを示す。

我々が住んでいる世界が人間界だが、我々は死ぬとこの近くにある6つの世 界「六道(りくどう)」のどこかに転生するという。六道とは地獄界・餓鬼界・ 畜生界・修羅界・人間界・天界である。毘沙門天とか帝釈天とかが住んでい る場所が天界。しかしここも、もう少しズームアウトすると「欲界」と呼ば れるところの一部に過ぎない。

欲界に生きる者は物欲・食欲・性欲など各種の欲望から逃れることはできな い。そしてその上には欲から解放された者の住む所「色界」がある。ここで 色とは物質のことで、色界に住む者も物質的なものに制約されている。この 欲界と色界を合せてひとつの宇宙ができる。これを一世界といい、一世界が 1000個集まって小千世界、小千世界が1000個集まって中千世界、中千世界が 1000個集まって大千世界となる。一人の仏が担当する範囲はこの大千世界を 更に沢山集めたものらしい。

これを昨日の話で言えば、一世界が太陽系、小千世界が銀河系、中千世界が 銀河団、大千世界が超銀河団で、一人の仏の担当する範囲というのが今我々
がいる宇宙全体くらいになるのであろう。

さて、こういった欲界・色界という宇宙の更に上の階層にあるのが無色界で ある。ここは物質的な制約からも解放された世界。その無色界も4つの層に 分かれているが、その最上層がこの有頂天である。

なお、仏の世界はこの有頂天の更に上。つまり欲界・色界・無色界の「三界 (さんがい)」の更に上である。そこまで到達することを「解脱」といい、そ こへ一度行ってから、こちらの世界に人々を導くために戻ってきてくれた人 のことを「如来」というのだ。

もっとも、仏の世界まで行ってきた人もほんのお隣の修羅道か餓鬼道へ行っ てきた人も一見似ているので、この世の中にはニセ如来も多い。争いばかり 起こすのは修羅道出身。物欲の塊は餓鬼道出身と思ってよい。更にほんとに 仏の世界まで一度到達した人でも、正しい心を保つことはなお難しい。

マニ教の経典は言う。悟りを開いた瞬間から堕落が始まる、と。

(99-08-03)
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