我々が住んでいる世界が人間界だが、我々は死ぬとこの近くにある6つの世 界「六道(りくどう)」のどこかに転生するという。六道とは地獄界・餓鬼界・ 畜生界・修羅界・人間界・天界である。毘沙門天とか帝釈天とかが住んでい る場所が天界。しかしここも、もう少しズームアウトすると「欲界」と呼ば れるところの一部に過ぎない。
欲界に生きる者は物欲・食欲・性欲など各種の欲望から逃れることはできな い。そしてその上には欲から解放された者の住む所「色界」がある。ここで 色とは物質のことで、色界に住む者も物質的なものに制約されている。この 欲界と色界を合せてひとつの宇宙ができる。これを一世界といい、一世界が 1000個集まって小千世界、小千世界が1000個集まって中千世界、中千世界が 1000個集まって大千世界となる。一人の仏が担当する範囲はこの大千世界を 更に沢山集めたものらしい。
これを昨日の話で言えば、一世界が太陽系、小千世界が銀河系、中千世界が
銀河団、大千世界が超銀河団で、一人の仏の担当する範囲というのが今我々
がいる宇宙全体くらいになるのであろう。
さて、こういった欲界・色界という宇宙の更に上の階層にあるのが無色界で ある。ここは物質的な制約からも解放された世界。その無色界も4つの層に 分かれているが、その最上層がこの有頂天である。
なお、仏の世界はこの有頂天の更に上。つまり欲界・色界・無色界の「三界 (さんがい)」の更に上である。そこまで到達することを「解脱」といい、そ こへ一度行ってから、こちらの世界に人々を導くために戻ってきてくれた人 のことを「如来」というのだ。
もっとも、仏の世界まで行ってきた人もほんのお隣の修羅道か餓鬼道へ行っ てきた人も一見似ているので、この世の中にはニセ如来も多い。争いばかり 起こすのは修羅道出身。物欲の塊は餓鬼道出身と思ってよい。更にほんとに 仏の世界まで一度到達した人でも、正しい心を保つことはなお難しい。
マニ教の経典は言う。悟りを開いた瞬間から堕落が始まる、と。