この習合の過程の中で、牛頭天王は祇園会で祓う対象としての疫神と考えら れるようになり、また一方ではその本体は須佐之男命であると考えられるよ うになっていきました。その場合、婆利菜女は櫛名田姫であるとします。ま た先代旧事本紀のように、牛頭天王は大国主命であるとの説もあります。
祇園牛頭天王縁起では、牛頭天王は須弥半腹の豊饒国王武塔天王の太子で、
7歳にして身長7尺5寸、頂に3尺の牛頭があり、また3尺の赤角もある。
長じて王位に付き、牛頭天王と称え、山鳩のお告げで大海中の婆竭羅竜王宮
に入り、第三婆利菜女を娶り、八王子を生んだ、とされています。
また別の説では、牛頭天王はインドの九相国・吉祥園の王で祇園精舎の守護 神であったとの説も聞きます。
牛頭天王は全国の八坂神社・祇園神社・津島神社で祭られています。