←↑→ お寺の歴史,お寺と神社
質問:お寺の成り立ちについて教えて下さい。
   あと、神社と寺の違いがよくわからないのですが。。

回答:−

お寺の成立については、仏教の初期の歴史について触れた本を読まれると
よいかと思います。

基本的に出家をしたものは「出家」という名の通り、出家者は家を持たず、
野宿するのが基本です。しかし、仏教の発祥の地、インドでは、雨期に外を
歩いていると、しばしばうっかり、虫などを踏みつけて殺してしまうことが
あることが問題になりました。

そこで、雨期に関しては、そのような無駄な殺生をしないために、外を出歩
かずに、どこかにおとなしくして瞑想などをしていようということになり、
そのため雨安居の場所として作られたのが初期のお寺です。ですから初期の
頃は出家者は雨期の間だけ、そこにいたわけです。

「寺」ということば自体は中国で生まれました。中国ではこのことばはそも
そも役所のことです。インドから僧を招いた時、役所に泊めました。また、
仏典の漢訳をする際に、役所をその作業場所にあてました。そのため、僧が
いつもいる場所を一般に「寺」と呼ぶようになったものです。

なお、寺は仏教の僧の居場所、神社は神道の神様をおまつり場所です。

元々は日本では神様を祭るのに建物などは建てず、一般に御神体となってい
る山などを直接拝んでいました。しかし6世紀に仏教が入ってきて、お寺が
多数建てられはじめますと、神道側も対抗して、建物を建て始めました。こ
れが神社です。しかし現在でも古式を守る神社では、神殿のないところもあ
り、また拝殿だけで本殿を持たず御神体を直接遙拝するようになっている
神社は多数あります。

日本では仏教を広める役割を果たした人たちが、「よその国の神様なんか拝
めない」と抵抗する民衆に「実は仏様も神様も同じものなのだよ」という
説得の仕方をした結果、仏教と神道が融合した、いわゆる神仏混淆の世界が
生まれました。これは奈良時代の、東大寺大仏鋳造に始まり、明治の神仏
分離令まで続きました。そのため、現在でもそのなごりで、お寺に狛犬が
あったり、神社に魚板があったりするところがあります。また神社とお寺が
一体となっていたところは多く、そこに明治政府が強引な分離令を出した為
きわめて不自然な仕切が寺の敷地と神社の敷地の間に引かれているところも
多数あります。江戸時代までは、僧と神職を兼任しているものも多くありま
した。

神仏混淆の話については良書がありません。つまり、誤解の多い本がかなり
多いです。それは、仏教と神道の両方に通じた人がひじょうに少ない故の
ことだと思います。

なお、事情を更に複雑化させているものとして、神様と仏様が習合してしま
っているものがあります。その代表は、「だいこく様」と「弁天様」です。

「だいこく様」は、仏教の大黒天(インドのマハーカーラ)と日本の大国主命
(おおくにぬしのみこと)とが習合されたものです。しかし一般にはこれは
民俗神として、家庭でも仏壇でも神棚でもない場所に祭られています。

また「弁天様」といえば、本来は仏教の弁財天(インドのサラスヴァティ)
なのですが、実際には弁天様を祭っている所は現在たいてい神社になっていて、
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)あるいは、市杵嶋姫命を含む宗像の
三女神をお祭りしています。

一般にこの手のものを考えるときは
  仏教における仏
  その元になっているインドの神
  神道における神
  民俗的な神
というのを分けて考えるようにしておかないと、頭の中がごっちゃになって
しまいます。一般にはこの4つの神格の内のいくつかがひとつに重ねられてい
ます。弁天様などは4つともそろっている例です。

お地蔵様なども、本来は仏教の地蔵菩薩ですが、どちらかというと民俗的な神
として崇拝されているため、お地蔵様を祭っている寺で、柏手を打ってしまう
人も多数いるようです。むろん、本来はお寺では合掌ですね。

なお、日本における寺の発達を考える上で無視できないものとして、平安時代
の陰陽道の文化もあります。平安時代に京都周辺で作られた寺というのは貴族の
別荘のようなものが多いのですが、これが陰陽道における方違え(かたたがえ)
との関連で、重視されていました。その問題については、方違えに関する専門
書をご覧下さい。(といっても、まともなのはベルナール・フランクのもの
だけですが....この人は現代の小泉八雲みたいな人です)

日本で初期の頃お寺を多数作ったのは、6〜7世紀に主として活動した蘇我一族
です。現存する最古のお寺は大阪の四天王寺ですが、これを建てたのは蘇我の血
を引く、聖徳太子でした。

次にお寺を作るのに熱心だったのは、壬申の乱以降奈良時代までを支配した
天武天皇系の天皇たちです。特に持統天皇、聖武天皇、などは寺の造営に力を
入れており、聖武天皇は国分寺を全国に作らせました。

後に、この聖武天皇に匹敵する活動をしたのは、足利尊氏で、彼は全国に
安国寺を建てました。

話し出せば尽きることもありませんが、以上取り敢えず。
(1999-09-29)
(2001-02-09加筆修正)

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