●プラナリアの実験
例えばある人はプラナリアを使った実験をしています。あるプラナリアに 条件反射をしこんだ上で、そのプラナリアを別のプラナリアに食べさせます。
すると食べたプラナリアは食べられたプラナリアが学習していた条件反射を 覚えているのです。
つまりこのような原始的な動物においては、かなり単純な仕組みで記憶が 保持されていることが想像されます。しかしこの手の現象は高等生物では 起きません。
昔は人間でも戦争で死んだ勇者の肉をみんなで食べて、彼の勇気を分けて もらおうとした風習などもあったようですが、残念ながら、人間では他人を 食べてその人の能力を獲得することは不可能です。恐らくこれはプラナリア と人間では食べる時の消化の仕方が違うからでしょう。プラナリアが恐らく 組織をあまり破壊せずに食べているために記憶を受けつぐことができるのに 対して、人間の消化器官はもっと徹底的に破壊するため、記憶は残らないの です。
もっとも人間でも細胞レベルでは白血球(T細胞)は侵入してきた病原菌と戦 って、これを倒した場合、それに関する記憶(免疫)を獲得しますので、上記 の実験に似た単純なレベルの記憶も働いているということもできるかも知れ ません。
●ニューロン(神経細胞)の動き
現代の生理学は人間の脳の記憶のメカニズムをかなりのところまで解き明か しています。
例えば特定の記憶は脳の特定の場所でのみ行われているのか、特定の記憶を 保持する神経細胞があるのか、ということについては初期の頃から両論が あったのですが、現在では少なくとも「単一の」神経細胞でひとつの記憶が 保持されているのではないことが判明しています。
その一番の証拠に、脳細胞は毎日大量に死んでいますが、その分記憶が消滅 している訳ではありません。人間はいわゆる「忘れた」ことでも実はどこか に覚えていて、あとで「思い出す」ことがあります。
記憶は基本的に神経細胞のネットワークで保持されています。コンピュータ には近年 RAID とか ディスクアレイ といってデータを二重化して記録して おき、どれか1台壊れても他のディスクでデータが保全される仕組みのもの がありますが、脳細胞の記憶というのは何重にも多重化された RAID のよう なものです。ですからそのネットワークを構成している神経細胞のいくつか が死んでも他の細胞により記憶は保持されているのです。
コンピュータの世界でも記録媒体の信頼度の低かった1970年代には、例えば
磁気テープにマスターを保存したらコピーを10本くらい作っておきました。
そして1年後くらいにチェックするとその内3〜4本がダメになっている。
そこでまたダメになった分のコピーを増やしました。脳の記憶もこれと似た
状況にあります。
神経細胞(ニューロン)は一種のコンデンサーのようなもので、内部に電気的 なポテンシャルを貯めることができ、また腕を伸ばして他の神経細胞に刺激 を伝えることができます。
この時、ほかの神経細胞から刺激を受けると、その刺激量が内部に蓄積され ていき、あるレベルに達すると、隣の神経細胞に腕を伸ばして自分の内部の 刺激を放出するようになっています。
この刺激の伝達により何個もの神経細胞がネットを組んでおり、その結び付 きのクセの中に記憶が保持されている訳です。
コンピュータの世界でもこの仕組みを真似した「ニューロコンピュータ」と いうのが実験的に作られていますが、まだまだミミズ程度の知能にしか到達 していないらしいです。いづれ半導体技術が進んでICが安くなってくれば 霊長類のレベル、そして更にはその上まで到達するのでしょうが、このタイ プのコンピュータはきっと、都合の悪いことは勝手に忘れて、何時間も働か せるとサボってみたり、時には人間にウソを付いたりするのでしょう。
●三段階の記憶
基本的に言って人間の記憶にはその持続時間により3種類に分けられます。
感覚記憶:バッファメモリーのようなもので、目から入った情報がほぼ そのままイメージ通りに記憶される。通常は最大1〜2秒で 消えるが、プロのカメラマンや画家などには、この記憶を 長時間維持できる人がいる。
短期記憶:数秒〜数分間の記憶。コンピュータのレジスタのようなもので
感覚記憶の中から意識が意味を感じ取ったものが格納される。
これは訓練するとやや長く保持できるようになる。暗算や筆算
の繰り上がりなどは短期記憶で処理されている。これが長期
記憶だったらたいへんである。
長期記憶:継続的に持続される記憶。短期記憶の中から特に記憶しておく べきと判断されたものが格納される。コンピュータなら主記憶。
ただコンピュータの場合はバッファやレジスタの記憶はそのまま消え去って いくのですが、人間の場合は、これらの記憶は「忘れた」あともしばらくは 残っているとも言われます。これが催眠状態などで現れる場合もあります。
そのため記憶はしばしば引き出しに例えられます。忘れたというのは実は 情報をしまった記憶の入った引き出しが開かなくなっている状態であり、何 かの拍子に引き出しが開くと、それが出てきて「思い出す」という訳です。
何かを思い出したいときのやり方として有名なのは「関連することを考える」
というもの。これによって脳細胞のその付近のニューロ・ネットワークが
活性化され、思い出せる確率が高まります。
また人間の記憶には3歳ころにひとつの境界線があることが知られています。
大人は概してこれ以前のことを思い出せません。昔アメリカで「催眠状態で
前世を語る女性」が発見された、という報告(*1)がありましたが、これは後
に、実はその話は、その人が赤ん坊の頃、子守の女性が語ったその人のお母
さんの身の上話であったことが判明しました。
つまり赤ん坊の時の記憶を人は実は覚えているのだけど、3歳くらいを境界 にそれ以前の記憶は通常封印されてしまいます。2〜3歳の子供が、自分が 子宮から飛び出してくる時のことを覚えていて、話してくれる場合がある、 というのは子育てをする女性の間ではよく知られていることです。
●記憶のタイプ
昨日は記憶を持続時間によって分類したのですが、記憶の性格により分ける こともできます。
エピソード記憶 具体的にいつ頃、自分がどんなことをしたかというのを 覚えているもの。「昨日、デパートに行ってバーゲンの服を 買ってきた」みたいなもの。
意味記憶 いわゆる知識である。「紙は木から作ったものである」など といったもの。
手続き記憶 いわゆる技術である。車の運転の仕方、泳ぎ方、スキーの 滑り方、のようなもの。
ただ、前日の持続期間による分類に比べて、この分類はかなり便宜的なも
のであり、微妙な物もある。例えば
「王選手はホームランを868本打った」などというのは、当時ずっとプロ
野球中継を見ていた人にとっては立派なエピソード記憶ですが、後から
聞いた人にとっては意味記憶にすぎません。
スキーの滑り方のように言語化しにくい技術というのはかなり純粋な手続
き記憶ですが、例えばプログラムの組み方などというのは、手続き的部分
と意味的部分とが半々と思われます。
「じゃがいも・タマネギと人参と肉を食べやすい大きさに切って炒めてか
ら煮込みカレールーを入れたものを御飯の上に掛けた料理がカレーライス
である」などというのが単なる知識に止まっている段階では意味記憶です
が、その手順でちゃんと実際に料理を作れるようになれば、これは手続き
記憶の部分が大きくなります。
●数字7と4
今日は記憶に絡む数7と4について。
まず4という数字は感覚記憶の容量です。人間の五感というのは、一度に4つ の刺激までを処理できるとされます。ですから例えばランダムに文字が書か れている紙を見せられた時、4文字までは一瞬で見ているのですが、5文字 以上になると一度には処理できず「視線の移動」が行われ、データは短期 記憶の中で編集されます。
次に7というのは短期記憶の容量です。ただし、感覚記憶がほとんどの人で4 であるのに対して、短期記憶については若干の個人差があり、少ない人は5, 多い人は9ある場合もあるそうです。
ただ短期記憶の段階では容量の単位が異なっていて、感覚記憶の段階では目 で見分けられる最小構成単位。つまり「感覚される単位」で4個であるのに 対して、7の方は「意味的にまとまって記憶できる単位」で7個になります。
ですから例えば「あとにみいてねもまのしれあえ」などといった文字列は 読みとるときは4文字単位で4〜5回の視線移動で読みとっていますが、その 後、2文字ずつ7単位に「編集」して あと/にみ/いて/ねも/まの/しれ/あえ などとすると、なんとか数秒間は記憶として維持することができます。
これが「金子はその朝地下鉄で空港に行きロサンゼルス行きの日航便に乗り 込んだ」なんてのになると、上の文字列に比べて意味がつながっているので 多分4チャンク程度で楽に10秒程度は維持することができます。
語彙の多い人はひとつのチャンクの容量が結果的に大きくなります。上記の 文章でもロサンゼルスという地名を知らない人は、この地名の記憶に3チャ ンクくらい消費する可能性があります。
暗算で掛け算をする時、多くの人は1桁の掛け算(九九)だけで処理してい ます。しかしこの場合数字の1桁の記憶に1チャンク消費するので、2桁× 1桁くらいの掛け算が限界です。これを1〜99×1〜99の9801通りの掛け算の 結果が頭に入っている人なら、4桁×2桁の掛け算を暗算で楽にすることが できます。
そういうわけで、実はこのチャンクの容量というのは鍛え方によって事実上 大きくすることができます。
しかし、あまり鍛えていない人はこのチャンクの容量がそんなに無いので、 更に短期記憶が5チャンクまでしか使えない人のことを考えると、電話予約 システムなどにおける「注文番号」のようなものは、5桁程度までに抑えて おかないと、顧客の記憶違いを頻発させることになります。(つまり音声で 聞いてからそれを紙に書き取るまでの間1〜2秒間その記憶がもたない....)
(現在のパソコンのCPUは32ビットのわり算の結果が「全部頭に入っている」
ので、引き算の繰り返しなどという面倒なことをせずに一瞬でわり算を
やってしまいます)
(4桁×2桁の掛け算の暗算については私が高校時代に自分を実験台にして 確かめたことがあります。約1月ほど掛けて9801通りの計算結果を頭に 叩き込んで、当時はこの掛け算の答えを3〜4秒で出せました。今はもう ダメですが)
(計算については実は長い桁数の計算をほんとに一瞬で答えを出せる人が
まれにいます。小学生くらいまではけっこうな頻度でいるらしいとも言
われているのですが、たいてい学校の先生に「つぶされて」しまいます。
一瞬で答えが分かるから答案にそう書くのに「経過が書いてないから
カンニングでもしたのではないか」と責められるのです。こういう子が
いることを、ほとんどの教師が知りません。私は塾の講師をしていた時、
こういう小学生に一度だけ出会ったことがあります。私も最初はズルを
しているのではないかと思ったのですが、色々質問をしてみて、この子
は「アレ」だと確信しました。
昔の数学者にはこのタイプの人がよくいたようで、古い文献を見ている と10桁くらいあるわり算をどうも暗算でやってしまったと思われるよう なところが出てきたりします。古代に日食の予測計算などやっていた人 も多分このタイプの人です)
●記憶の編集作用
記憶の話の最後に記憶の「編集作用」について少し。これはどちらかという と認識の話なのですが。。。
基本的な話として人間の目というのは「見えた通りには見ていない」という 問題があります。(正確には 目+視覚処理系 )
例えば英米圏で行われた実験によれば BLAKC なんて文字が普通の文章の中 に出てくると、たいていの人がちゃんと BLACK と読んでいるそうです。また The frog jump into the the spring
なんて書いてあった時、この文章の異常にすぐ気づく人はかなり少ないそう です。要するに人間が感覚記憶から短期記憶へ転送する際のデータ編集の段階 で、見慣れないものは見慣れたものに強制的にアジャストされる機能があるも のと思われます。
つまり言い換えれば、人間というのは見慣れたものだと思うことによって心の
安定を図る一種の防御本能があります。ですから目の前に「ものすごく変な物」
があった時、大半の人がそれを見ないかも知れない。
幽霊なんてのもひょっとしたらそういう類のもので、ほとんどの人は目が見て いても修正されて画像から消去され、認識されないかも知れない。「幽霊は目 の端で見る」とよく言われますが、それは端の方は画像的に重要度が低いため この抑制(修正)機能が働かないためかも知れません。
もっというと宇宙人がたくさん地表を歩いていても、その形が人間の常識から あまりにもかけ離れたものであった場合、誰もそれを見ていないかも知れない。
芥川龍之介は宇宙人が人間の視覚で把握できるものとは限らないじゃないか、 と「侏儒の言葉」の中で書いていますが、もしかしたら見えていても認識され ていない宇宙人がいるかも知れない。
こういう話になると「科学的心理学」の立場の人は露骨に嫌な顔をします。