心への旅(15)自我と自己

←↑→

意識の中の中心に自我(ego)があるように、無意識を含めた心の全体の中の
中心には自己(self)があると考えられています。

人は自分のアニマ・アニムスや影などの動きによって色々な不安を引き起こ
されるとともに、結果的に自我の足りないところを補っていると考えられます。
その場合、アニマや影というのは、自我から見ると自分を危うくする存在で
すが、自己から見ると、よりよい人格を形成していく為に必要なものであった
訳です。

河合隼雄氏は、西洋人の心の構造と日本人の心の構造を比較して、西洋人の
場合は強力な自我が成立して、それが自己とつながっていくことを課題とす
るのに対して、日本人の場合は西洋人の自我のような意識内のしっかりした
中心構造がなく、代りに全てが無意識下にある自己につながっているのでは
ないかと述べています。

この為、西洋人では個の確立が明確で他との関わりにおいて契約的な考え方
が強く現れて来ます。西洋人において自己は「神」につながっていく存在で
しょう。これに対して日本人の場合は、自我が確立してない為、一人一人の
人間を見ても、どうもはっきりしないきらいがあります。そして集団で場を
作ることによって安定を保つ訳です。最初から心の中が自己に向いていると
いうのは、日本人の心が常に宇宙と一体化しているということでもあります。

現代の西洋思想の行き詰まりは強力になりすぎた自我が自己を見失ってしま
った結果とも言えるのではないでしょうか。ユングが「自己」の概念にたど
りついたきっかけは、リヒャルト・ヴィルヘルムの訳した「太乙金華宗旨」
の中に出てきた「道」の概念でした。

逆に戦後の日本人が西洋に強いあこがれを持った背景には、場の中でしか生
きて行くことを許されず、個々の心理的自由が無い状態からの脱皮を西洋的
社会構造の中に求めた為ではないでしょうか。西洋的生き方では自我を確立
することにより、個々の個性を生かした人生を送ることができる。それが魅
惑となったのでしょう。

自我が強すぎると、人類は統合を失い自然からの疎外感に悩まざるを得なく
なります。逆に自我に対して自己が強すぎると、人類は枠の中にはめこまれ
てしまい、独自の考えで行動することができなくなります。

今、西洋人にとっても、日本人にとっても、越えるべき重要な心理的課題が
社会全体に与えられているのです。その解決が、新しい時代を形成していく
基礎になることは間違いありません。
←↑→


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから