自動交換機の日本初導入(1926)

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大正15年(1926)1月20日、東京の京橋電話局に日本で最初の自動電話交換機が導入されました。

電話交換は初期の段階では「磁石式」と呼ばれる手動の交換機が使用されていました。この磁石式の交換機で使用する利用者側の電話にはダイヤルは付いておらず、代わりに手でグルグルと回す「手回し発電機」が付いていました。

これを回すと発生した電気が電話局に伝わって交換手が応答「どこどこにつないでくれ」というと、交換手がその相手を呼び出し物理的にケーブルをつなぐという操作をしていました。通話の終了は再び手回し発電機で交換手に知らせることにはなっていましたが、知らせてくれない利用者が多いので(本当はいけないのですが)やむを得ず交換手は時々通話が継続中かどうかを傍聴して確認していました。

この手回し式の電話機は古い時代を描いたドラマなどには出てくることがあるのでテレビの画面の中や映画のスクリーンの中では見たことがある方も多いと思いますが、さすがに実物を見たことのある人は少なくなったのではないかと思います。私の出た小学校には1台だけこれが保存してあり、線はつながっていなかったものの、みんなで回して遊んでいました。

この磁石式はやがて「共電式」と呼ばれる電話局側に電源を持つものに代えられていきます。これになると手回し発電機を回す必要はなく、受話器をあげただけで交換手が応答してくれるようになりました。共電式は1903(明治36)年以降導入が進んでいきます。ところがここに1923(大正12)年、関東大震災が起き、関東地区の電話基盤も壊滅的な打撃を受けます。ここでこの電話網の復旧にあたっては、災害に強く交換手を大量に確保しなくても済む自動交換機が導入されることになり、東京の電話局にストロージャー式、横浜の電話局にジーメンス(富士電機,「富士」はFurukawa&Siemens)式の交換機が設置されました。そして1月20日に京橋局のストロージャー式交換機の方が先に動き始めました。横浜中央局のジーメンス式交換機も3月には動き出します。

この世代の自動交換機は「ステップバイステップ」と呼ばれるもので、利用者がダイヤルをひとつ回す度に相手先が絞り込まれていき、最終的に相手の番号を全部回し終わると向こうにつながるようになっています。昭和30〜40年代の映画などで電話の逆探知をしているような場面が映っていると、このステップバイステップが稼働している様子が出ていると思います。

このステップバイステップ式の自動交換機を発明したのはAlmon Brown Strowger(1839-1902)という人で、1888年のことでした(1891年に特許取得)。彼以前にも自動交換機を考案した人はいるのですが、多くが直接相手先を選択しようとするもので、電話の加入者数が多くなると配線が複雑になりすぎて実用的ではありませんでした。それがこの「ステップバイステップ」方式を考案したことで非常に単純な機構にすることができたのです。

彼は実は職業は葬儀屋さんです。「伝説」によれば葬儀屋を営んでいるのに彼のところに葬儀を依頼する電話が異様に少ない。調べてみるとライバル会社の経営者の奥さんが電話局に勤めていて交換手をしている。そこでその奥さんがこちらにかかってくるはずの電話を「今そちらは話し中ですね」などと言って、代りに自分の亭主の会社に方に回しているのではないかと疑ったというのが発端とされます。実際問題として電話網が発達していく過程でこの手の「疑惑」というのはあちこちで起きていたようです。

そこで、人間が介さないで掛けた人が自分の掛けたかった所に確実に掛かる電話システムを作ろうと、自動交換機の研究を始めたのだといいます。この伝説がどこまで本当なのかは、今となってはよくわかりません。

なおその後電話交換機は1950年代からはもっと高機能の「クロスバー交換機」に少しずつリプレースが進み、1970年代以降は電子交換機へとリプレースされてきました。クロスバー方式はたぶんまだ一部の地域で使用されているのではないでしょうか。


(2004-01-20)

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