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二宮忠八の飛行実験(1891)

二宮忠八については以前少しだけ取り上げたことがあるのですが、ここで改めて紹介しておきましょう。彼はライト兄弟より先に飛行機を作ろうとした人です。彼が模型飛行機を制作して初めて飛行実験に成功したのが1891年4月29日でした。

二宮忠八は慶応2年(1866年)6月9日、愛媛県の八幡浜で生まれました。家は海産物問屋でしたが、早い時期に倒産。彼は様々な職業をしながら何人かの師に付いて学問を学びました。やがて陸軍に入るのですが、ある日カラスが羽ばたかずに空を滑空している様を見ていた時に、ああいう形の「もの」を作れば、それは空を飛ぶのではないか、ということを思いつきます。

そこで様々な試行錯誤の結果、カラスの羽に相当する主翼を広げ、尾羽に相当する尾翼を持つ細い枠組みで作った胴体を持つ、飛行機の模型を作り上げます。そして1891年4月29日、これを空に飛ばすことに成功したのです。

彼はこれに気をよくして今度はこれを人が乗れるサイズで作ろうとしますが、ある程度まで作った所で、やはり単独での制作は困難と判断するに至り、軍にその企画を持ち込みます。

しかし当時の軍の幹部は、人が空を飛ぶなどということは、常識に反することであったため「君が実際に空を飛んで見せたら予算を出しても良い」などと言って却下してしまいました。

こうしてこの企画は日の目を見ることなく、二宮はライト兄弟に先を越されてしまうのです。

彼はその後、軍を辞めてから大日本製薬で働きながら、なんとか飛行機制作の資金を貯めようとしますが、その資金をやっと貯めることができたところに、ライト兄弟が人を乗せた飛行実験に成功したニュースが飛び込んで来たのでした。彼はショックを受けてもう飛行機制作の仕事をやめてしまいます。

その後飛行機の時代が到来すると彼の古い功績は発掘され、二宮は表彰されました。しかしその飛行機の時代に多くの事故が起き、多数の人命が失われたことを悲しみ、京都に飛行神社を建立し、その神官となって死者の鎮魂にその後の人生を捧げました。

1936年4月8日没。享年70歳。

なお戦前に実用飛行機を最初に制作しはじめたのは、中島知久平(1884-1949)の中島飛行機です。二宮の次の世代になります。この中島のこの会社は戦後GHQにより解体されてしまいましたが、その技術者たちが、飛行機を作っちゃダメというのなら自動車を作ろうといって作ったのが「スバル」でした。そちらの流れは現在、富士重工業に引き継がれています。


(2005-04-29)

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