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アルミニウム国産成功(1934)
1934年1月12日、日本沃度が同社の大町工場(現長野県大町市)で日本で初めて のアルミニウムの工業的生産に成功しました。 アルミニウムは現代文化を支える重要な金属です。 人類が文明とともに獲得した金属は、最初は銅であり、のちに鉄でした。青銅 文化はBC4000年頃にメソポタミアで始まり、BC2000年頃に一般化しました。 鉄文化はBC1800年頃にやはりメソポタミアや小アジアではじまりBC500年頃に 一般化しました。青銅は熔けた錫に銅を熔かし込んだものですが錫はわずか 230度で熔けてくれます。これに対して鉄を溶かすには1000度の温度が必要です。 しかし鉄は青銅にくらべてずっと堅いので、鉄の武器を持った民族は青銅の武 器しか持たない民族を制圧することができました。 鉄はとても丈夫ですが重いという問題があります。鉄の比重は8(青銅は8〜9) ですが、アルミニウムの比重はわずか2.7です。これを丈夫にしたジュラルミン でも2.8であり、こういう素材がなければ、現代の航空機文化などは成立しえま せんでした。またアルミニウムはコンピュータのICの製造においても重要な素材 となっています。それほど使い手のあるアルミニウムなのですが、発見されたの はわずか200年前の1807年のことです。だったらこれは稀少な金属なのかと思い がちなのですが、これがとてもありふれた物質です。下記は理科年表による 地殻中の元素存在率です。 Si 26.8% Ca 5.3% Al 8.4% Mg 3.2% Fe 7.1% Na 2.3% つまりアルミニウムは鉄よりも多くあるのです。実際問題としてその付近に ありふれた「土」の主成分は、石英と長石なわけですが、その長石が実は アルミニウム化合物です。アルミニウムはひじょうにありふれているのです。 しかしありふれているという問題とそれを取り出せるかという問題は別です。 現実にはふんだんにある長石からアルミニウムを取り出す手法は費用的に 成立していないため、現在工業的にはボーキサイトをもとにアルミニウムを 精錬しています。具体的には次のような過程を経ます (1)ボーキサイトに水酸化ナトリウムを加えてアルミン酸ソーダにする (2)加水分解して水酸化アルミニウムにし、更に焼成してアルミナとする。 (3)電気分解してアルミニウムを得る 問題はこの最後の電気分解をする過程です。ここで膨大な電気を使用すること になり、「電気は初め電灯をつけるためのものだったがアルミニウムの精錬の 場で、電気は原料になった」といわれました。日本沃度の設立者である森矗昶 (のぶてる)は、豊富で安価な電力が得られる場所として、アルプスを背景にし て水力発電所の並ぶ北陸の地を選んだのです。このため現在でも日本を代表する アルミ産業がみな北陸に集中しています。YKK(黒部市),三協アルミ(高岡市), 立山アルミ(高岡市)などです。 日本沃度は森自身が設立した別の会社と合併し「昭和電工」になりますが、 実際問題としてこの森のアルミ製造操業はボーキサイトの確保について不安が 残る中での見切り発車的な性格が強かったようで、石原産業海運を運営する 石原広一郎(1890-1970)がマレー半島のボーキサイトを日本沃度に提供してい なければ、あっという間に行き詰まっていたものと思われます。石原産業は 広一郎の実弟の高田儀三郎を昭和電工の副社長として送り込んできました。 森矗昶は明治17年(1884)10月21日、千葉県清海村(現勝浦市)で生まれました。 彼は電気化学の分野で日本を大きくしようという強い立志を持っており、この アルミニウムの製造のほか、アンモニアの国産化の成功など、日本の化学産業 史に大きな足跡を残しました。味の素の創業者の(2代目)鈴木三郎助とは同志 として交友があり、味の素の創業時には多大な支援をしています。森は晩年は 会社の経営からは離れ衆議院議員となって、政界にも多くの人脈を作りました。 のちに総理大臣となる三木武夫は彼の女婿です。 なお昭和電工は森が亡くなったあと、政界を大きく揺るがした昭和電工疑獄や 新潟水俣病を引き起こしたりするなどの面も見せましたが、その後は襟を糺し、 地球の環境保全のための運動にも力を入れています。
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